その朝、次子は祖師名のマンションの前にいた。手には大きな風呂敷き包み。(もちろん中身は二人分の朝食の材料である)
「うふっ、うふふふふっ。」
エレベーターに乗り込みながら、思わず笑みがこぼれてしまう、次子であった。
「そうだ、今日はインターホンを鳴らさずにこっそり部屋に入って驚かしちゃおう。」
実は次子は以前、祖師名の部屋のスペアキーを“お守り”として、もらっていたのだった。今まで使う機会がなかったのだが。
「それで、後ろからこっそり近づいて、だーれだ? なんちゃて、なんちゃって。」
妄想に浸っていると、いつのまにかエレベータは停止して、ドアが閉じかけていた。慌ててエレベーターを降りると、祖師名の部屋へと向かう。祖師名の部屋はエレベータホールから、3番目だ。
「そうっと、そうっと。」
スペアキーを取り出すと、音を立てないように慎重に鍵をはず...そうとしたが、鍵が合わない。
「え、え、なんで。なんで開かないの?」
あれこれ試してみたが、やはり鍵が合わないようだ。
「そ、そんなぁ、祖師名さんたら、まさか、私に内緒で錠を取り替えたんじゃ..」
目の前が真っ暗になる。そうだ、きっとそうに違いないのだわ。きっと、あの色っぽい警部さんにだけ、新しいキーを渡して、今ごろ部屋の中で二人でいちゃいちゃしてるんですのね、「あんな小娘、もう飽きた。」とか言って。ひどい、ひどいわっ。
「ふ、ふぇーん。」
泣きながら走り出す。涙で何も見えない。エレベーターに乗り込もうとすると、誰かにぶつかってしまった。
「ぐすっ、ご、ごめんなさい。」
慌てて謝ると、聞き覚えのある声が。
「あれ、紙麻さん。どうしたの、こんな所で?」
両手で目をごしごし擦って見上げると、そこにいるのは誰あろう、祖師名その人であった。
「そ、祖師名さん、ひ、ひどいですぅ、私が..ヒック...鍵を...小娘だからって...警部といちゃいちゃ...黙って替えるなんて...」
支離滅裂である。
「ちょ、ちょっと落ち着いて、紙麻さん。」
何とか宥め透かして事情を聞き出す。
「おかしいな、鍵なんて換えてないけど。」
「そんな、ご、誤魔化そうとしたって駄目です。卑怯ですわ。」
「だって、ほら」
まだ泣きべそをかいている次子の手を引きながら部屋の前まで来ると、次子の持っていたキーを鍵穴に挿し込む。
鍵はあっさり解けた。
「あ、あれ?さっきは確かに...」
「そういえば、紙麻さん、さっきはあの階でなにしてたの?」
「え、え?」
「...エレベータ、一階はやく降りちゃったんだね...」
恥ずかしさのあまり、無言で部屋に入り込むとキッチンで(キープしてある自前の調理器具を使い)二人分の朝食を作った。
祖師名が、残さず食べてくれて、「おいしい」と言ってくれたので、次子はとっても幸せだった。
...彼女の魂に安らぎあれ。
完
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