痛飲再度
うえだたみお
今日の萎絵の服装は、いつもと違っていた。
胸の大きく開いたパープルのカクテルドレス。背中の切れ込みが大胆である。髪はアップにまとめ、大きな薔薇を飾っている。グリーンのアイシャドウに真紅のルージュ、香水はシャネル。萎絵は、にやにやしながら独り言を言っていた。
「うっふっふっ、完璧! これでもう、浅野川先生は私の魅力にイチコロよ! 今日こそ絶対、プロポーズをOKさせてみせるんだから!」
「東之園くん、独り言ならよそで言ってくれないか?」
「きゃあああああ、浅野川先生! なぜここに!」
「なぜって、ここは僕の研究室だよ」
萎絵は周囲を見回す。確かにそのとおりだ。興奮のあまり、どこにいるかも忘れてしまったようである。またドジを踏んでしまった……しかし、萎絵はすぐに復活した。
「それよりどうです先生、お色気ムンムンのこの姿。フェロモン発散してるでしょ? だから、私と結婚してください」
「『だから』の使い方が間違ってるね」
浅野川は冷静に返答する。
「ところで東之園くん、ホルモンとフェロモンの違いって知ってる?」
「ホルモンは『焼く』けど、フェロモンは『妬く』……」
「うまい。座布団一枚」
出された座布団に座りながら萎絵はさらに言う。
「先生、そんなことではごまかされません!」
「うーむ、弱ったなあ。では、僕が問題を出す。それに正解できたら結婚してあげよう」
「本当ですか!!!!!! 早く問題を聞かせてください!!!!!!!」
「そんな声で叫ばないでくれないか。コーヒーメーカのひびが広がるだろう。……で、問題というのはこれだ」
浅野川は一枚の紙を差し出した。絵が描いてある。円の中に、牛や人がいる絵……円は十個あるようだ。それぞれの絵に、『尋牛』『見跡』などの題が付けられている。
「これ何です? 先生」
「十牛図、というものだ。禅で言う『禅宗四部録』のひとつらしいね。実は、岐阜のさる旧家で密室殺人事件が起きてね。被害者は密室の中でこの絵を握りしめて死んでいたんだ。これには、何か意味があるはずなのだが……さあ、この謎が解けるかい?」
さっそく萎絵の頭脳がはたらきはじめる。答はすぐに出た。
「わかりました。被害者は、犬小屋のような狭い密室に押し込められて殺されていたのでしょう? つまり、ぎゅうぎゅう詰めになっていたから、『十牛図め!』」
「……残念ながら違うよ、東之園くん」
「え、違うんですか? ちょっと待ってくださいね……わかりました、犯人は土日が休みの会社に勤める者です。十牛二日制」
「何か変なものに取り憑かれてないかい? それも間違いだ。どうやら、きみには解けなかったようだね」
「私には?」
「そう、謎を解いた女性が一人いるんだ。天才的な人だよ。だから僕は、その女性と結婚する。……入ってきなさい」
その声に応えてドアが開く。萎絵は入ってきた女性を呆然と見つめる。どことなく見覚えがあるような気がした。わざとらしく、背後に目つきの鋭い三人の男を従えている。
「きみも知っているはずだね。でも、一応紹介するよ。彼女が……」
しかし、その後の言葉は萎絵の耳には届かなかった。
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萎絵は、自宅のベッドの上で目が覚めた。
「……よかった。夢だったのね。そうよ、先生がまさかあの人と結婚するなんてこと、あるわけないもの」
ベッドから出て立ち上がる。悪夢を見たせいだろうか、頭痛がする。部屋を出て食堂に行くと、執事の嵯峨野が朝食の準備をしていた。
「おはようございます、お嬢様。昨夜はずいぶんお飲みになられたようで」
「……え? そうなの?」
「はい、泥酔状態でして、失礼ながら、私が寝室までお連れしました。あ、そのとき握りしめておられた紙は、ここにあります」
嵯峨野が萎絵に手渡したのは、十牛図だった。すると……やはり、夢ではなかったのだ。萎絵はテーブルの上に突っ伏していた。
ああ、今日もやけ酒飲まなきゃ……。
ところで、やけ酒の『やけ』は、『焼け』だったか『妬け』だったかそれとも……。萎絵はぼんやりと、そんなことを考えていた。
(この物語がフィクションであることを祈ります)
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