それにしても、 るい先輩は本当に、推定とは逆の可能性を残しながら、 論を進めているのだろうか?
 例えば、確度なるものを導入してみよう。
「犯人が左利きである」確度、「犯人が内部の人間である」確度、 「アリバイ工作がない」確度を、 簡単のために全て80%だとしてみよう。
 細かいことを言えば、最初の2項目が「独立」な項目で、 最後の確度は、「犯人が内部の人間である」 であるという条件のもとでの「条件付き」確度ということになるだろうか。
 すると「犯人が萩原弥生である」確度は51.2%ということになる。
 これは「犯人が萩原弥生でない」確度が48.8%だと言っても良い。
 これでは、「犯人は分かりません」と言っているのとほぼ同じではないか?
 天気予報の「降水確率50%」というのと同じだ(同じか?)。
 それとも、るい先輩は1.2%に賭けたのか?
 大体、確度が80%だという根拠が何処にある?
 そうだ、るい先輩の中ではもっと確度が高いのではないか?
 各確度を99%に変えてみよう。
 こうなると、「犯人が萩原弥生である」確度は約97%ということになる。
 これならば、「犯人が萩原弥生でほぼ間違いない」と言って良いだろう。
 しかし、ちょっと待てよ。
 今はたまたま3つの項目についてチェックしただけだが、 例えばこれが70も「独立」なチェック項目があれば、 たちまち「犯人が萩原弥生である」 確度は50%以下になってしまう。
 先程と状況に全然変わりはないではないか?
 るい先輩がこんな頼りないものを基に推論しているとは思えない。
 るい先輩の頭の中では、先の3項目についての確度は100%であるに違いない。
「その可能性は否定できません」というのは、方便にすぎないのだ。
 探偵の頭の中では確度が100%である、 ということを読者に自然と受け入れてもらうのに、 推理小説作家は苦慮するのだろうなぁ。
「そうですよね?」
「何が?冴時。どうしたの?」
「いえ、何でもありません」
 いけない、思わず口走っちゃった。
「・・・という訳で、私は弥生さんが犯人であると断定しました」
と、るい先輩はまとめに入った。
「動機は何なんですの?」
と、それまで黙っていた修造氏の夫人、祐子が問い掛ける。
「それは分かりません。先程、ある事を除いて、と言いましたが、 ある事とは、動機のことです」
と答えるるい先輩。
 それを嘲笑うかのように
「動機も分からないで、何が分かったって言うんですか?」
と、祐子夫人は応酬し、
「そうだ、弥生がそんなことするはずがない!」
と、夫人に加勢する修造氏。
「犯人の動機が分かってしまうなんて、そんなの傲慢ですわ。 勿論、推定することはある程度まで可能だとは思いますが、 完全に分かるとはとても思えません。 そのようなことが例えば推理小説に描かれていたとすれば、 それは、探偵を名探偵に見せようとして犯した、 その小説の作家の過ちですわ」
と断言するるい先輩。
 このような作家に対して「人間が描けていない」と言うのは妥当だろうか?
 それとも的外れか?
 弟夫婦は、るい先輩の剣幕に黙ってしまった。
「弥生さん、あなたがやったのですね?」
というるい先輩の問いに
「はい」
と萩原弥生は素直に応じた。



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