第71回   名探偵登場 1996.12.1


「久遠寺さん、お願いします。助けてください」
 京都府警の四条警部は、訪ねてくるなりそう言った。
「まあ、そうあわてずに。とにかく、座ってください」
 四条警部は、かなりあせっているようだ。私は彼に椅子をすすめると、煙草に火をつけながら聞いた。
「今度はどんな事件ですか?」
「ええ、殺人事件なんです。単純な事件で、容疑者も二人までは絞り込めているのですが‥‥」
「何か問題でも?」
「それが、被害者の残したダイイングメッセージで悩んでいるのです」
「ふむ。そのメッセージは、ひょっとして台所に残されていたのでは?」
「そ、そのとおりです。よくわかりましたね」
「何しろ、ダイイングキッチンと言うくらいですから」
「さすがは久遠寺さん、素晴らしい推理です」

 私の名は久遠寺翔吾、JDC(日本探偵倶楽部)に所属する私立探偵である。
 JDCは、日本の私立探偵を統括する組織で、本部は京都にある。三百五十人ほどの探偵が所属しており、私もそのうちの一人だ。京都府警の四条警部とは去年からのつきあいで、『多聞天殺人事件』『徐福伝説殺人事件』『鋼鉄天使事件』など、共に解決した事件も多い。
 JDCに所属する探偵たちは、皆それぞれ、独創的で奇想天外な推理方法を駆使して事件の解決に当たる。たとえば、集中考疑、潜探推理、ジン推理、神通理気、迷推理、ファジィ推理、不眠閃考‥‥。いちいち説明はしていられないが、どれも素晴らしい推理方法だ。詳しく知りたければ、『コズミック』(清涼院流水・講談社ノベルス)をお読みいただきたい。
 そして、私の推理方法は、もうおわかりだろうが、『ダジャレ推理』である。
 ダジャレ‥‥私の場合それは、潜在意識の発露である。事件に関する情報を収集し、潜在意識に自由連想推理をさせる。そして、その推理の結果がダジャレとして顕在化するのだ。この推理方法が使えるのは、日本では私一人である。天賦の才能、というべきか。私が生まれたときに、一緒にくっついてきたらしい。それは添付の才能である。

 私は、四条警部から詳しい話を聞くことにした。彼によると、事件の概要は次のようなものである。
 被害者は飛騨二郎。二十五才、会社員。三日前の昼、一人暮らしのマンションの台所で殺されているのを、訪ねてきた弟が発見した。玄関の鍵は開いていた。
 刺殺による失血死である。凶器の包丁は、現場で発見された。そして、床には、被害者が自らの血で書いたらしいメッセージが記されていた。写真を見せてもらったが、ゆがんだ字で、『男が』と書いてあった。
 捜査の結果、浮かんだ容疑者は二人。
 山科正樹。被害者の同僚である。競馬好きで、金使いの荒い男だそうだ。被害者から多額の借金があり、その催促に悩まされていたらしい。
 伊賀明日香。被害者の元恋人である。一方的に被害者に捨てられて、恨んでいたようだ。
 そして、この容疑者二人は共にアリバイはない。また、決め手となる証拠もなかった。

 四条警部が、情けない声で問いかける。
「どうなんでしょう、久遠寺さん。やはり、『男が』と書いてあった以上、犯人は山科正樹の方でしょうか?」
「いや、名前を知っているんだから、普通なら名前を書くでしょう。『男が』と書くのは不自然です」
「うーむ、それでは一体‥‥」
「お待ちください。今、考えます」
 私は頭をフル回転させて、ダジャレ推理をはたらかせた。そして、ある解答にたどり着いた。
「四条さん、被害者はひょっとして、阪神ファンじゃなかったですか?」
「え? ええ、確かに被害者の部屋には、黄色いメガホンや縦縞のはっぴなどがありましたが‥‥」
「わかりました。犯人は伊賀明日香です」
「本当ですか? なぜです」
「阪神タイガース‥‥つまり、『犯人だ、いがあす』ということです」
「なるほど! さすがは久遠寺さん、ありがとうございました!」
 四条警部は息せききって部屋を飛び出していった。まったく、落ちつきのない人だ。

 二、三分して、再び四条警部が部屋へ飛び込んできた。
「忘れていました! 久遠寺さん、あのダイイングメッセージは、どういう意味だったんです?」
「ふふ、思い出しましたね。まあ、あのメッセージの謎に気付けば、すぐに犯人はわかったのですが」
「‥‥というと?」
「被害者は、犯人の名前を書いていたんですよ、『いが』とね。ところが、犯人はそれに気がついた。消そうとも考えたが、ルミノール反応を使えば何と書いてあったのかわかってしまう。そこで犯人は頭を絞って、そのメッセージに被害者の血で手を加えたのです。つまり、『い』の文字の内側に『王』を書き、下に『力』を書いて『男』という字に見せかけた‥‥。そういうことです」
「なるほど! それで謎はすべて解けました!」
 四条警部は再び息せききって部屋を飛び出していった。

 今回の事件は、あまりにも簡単すぎた。第一、私のダジャレ推理をはたらかせる必然性がなかったではないか。
 この次こそ、私でなければ解決できない難事件に出会いたいものである。それまでは、ダジャレの鍛錬を積んでおくことにしよう。
 そんな難事件に遭遇できるのは、正月にモチを食べているときだろうか。モチとの遭遇。場所は宇治だろうか。宇治との遭遇。凶器はネジだろうか。ネジとの遭遇。‥‥よし、好調である。


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