第82回   高校の思い出その2 1996.12.15


 今回もまた、高校時代の思い出を書いてみたい。クラブの話である。実は私は、かなり色々なクラブを転々としていたのだ。

 最初に入部したのは卓球部である。しかしここは、あまりに忙しすぎたのですぐに退部した。ピンポン暇なし、というやつだ。

 その次は、演劇部に入部した。しかし、なかなか役はもらえず、裏方ばかりだった。やっていたのは、擬音効果の鐘の音である。諸行無常を感じたので、ここもすぐにやめた。

 その次は化学部である。酸化することに意義がある、と思ったのだが、還元の実験しかやらせてもらえなかったのですぐにやめた。

 その次は吹奏楽部である。校歌吹こうか、と思ったのだが、不幸だったのですぐにやめた。

 さらに山岳部や史学部にも入ったが、これもすぐやめてしまった。さよなら山岳またきて史学、である。

 結局私は、軽音楽部に定着した。そこで、当時流行った吉田拓郎や井上陽水を歌っていたのだ。


 そんなある日のこと‥‥日本史の試験での話である。
 試験となると、必ずカンニングの話になってしまうので恐縮だが、そんな高校生活を送っていたので仕方がない。

 私は、最初の問題でつまづいていた。このような問題である。

 問1.平安時代に書かれた、『源氏物語』の作者は誰か?

 こんな簡単な問題がわからないわけはないのだが、その時はど忘れしてしまったのだ。どうしても作者名が出てこないので、私は苦しんでいた。
 そっとあたりを見回すと、他にも悩んでいるらしき者がいる。どうやら皆、最初の問題が解けないようだ。
 私は教壇の方を見た。監督の教師は、持ってきた文庫本を読みふけっている。今がチャンスだ。私は、隣の席に座っている鈴木に小声で聞いた。
「‥‥おい、問1の答、わかるか?」
 鈴木は、同じく小声で答えた。
「ぬ・か・た・の・お・お・き・み」
 ‥‥額田王? なるほど、そうだったのか。私は、さっそく解答欄に記入した。
 まわりの者は、まだ悩んでいるようだ。どうやら答がわかったのは鈴木と私だけらしい。私は、他の者にも答を教えてやることにした。
 私の教えた答はまたたく間に広まった。クラスの半分近くが「額田王」と書いたようである。

 そして、試験が終わった後。
 教科書を開いて正解を確認していた一人が、私の所へやってきて言った。
「おい、問1.の答は、紫式部じゃないか。よくも間違いを教えたな」
 ‥‥なんと、額田王ではなかったのだ。私は愕然とした。
 気がつくと、私のまわりを数人の生徒が取り囲んでいる。苦しい立場になったようだ。
 あたりを見回すが、張本人の鈴木の姿はない。みんな、私のせいだと思いこんでいるようである。
 違う。私ではない。答を教えたのは鈴木なのだ。なんとか、言い訳をしなければ。
 私は、手近にあったギターを手にとると、吉田拓郎のヒット曲を歌った。
「額田王は〜、鈴木の案だし〜」


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