今回もまた、高校時代の思い出を書いてみたい。クラブの話である。実は私は、かなり色々なクラブを転々としていたのだ。
最初に入部したのは卓球部である。しかしここは、あまりに忙しすぎたのですぐに退部した。ピンポン暇なし、というやつだ。
その次は、演劇部に入部した。しかし、なかなか役はもらえず、裏方ばかりだった。やっていたのは、擬音効果の鐘の音である。諸行無常を感じたので、ここもすぐにやめた。
その次は化学部である。酸化することに意義がある、と思ったのだが、還元の実験しかやらせてもらえなかったのですぐにやめた。
その次は吹奏楽部である。校歌吹こうか、と思ったのだが、不幸だったのですぐにやめた。
さらに山岳部や史学部にも入ったが、これもすぐやめてしまった。さよなら山岳またきて史学、である。
結局私は、軽音楽部に定着した。そこで、当時流行った吉田拓郎や井上陽水を歌っていたのだ。
そんなある日のこと‥‥日本史の試験での話である。
試験となると、必ずカンニングの話になってしまうので恐縮だが、そんな高校生活を送っていたので仕方がない。
私は、最初の問題でつまづいていた。このような問題である。
問1.平安時代に書かれた、『源氏物語』の作者は誰か?
こんな簡単な問題がわからないわけはないのだが、その時はど忘れしてしまったのだ。どうしても作者名が出てこないので、私は苦しんでいた。
そっとあたりを見回すと、他にも悩んでいるらしき者がいる。どうやら皆、最初の問題が解けないようだ。
私は教壇の方を見た。監督の教師は、持ってきた文庫本を読みふけっている。今がチャンスだ。私は、隣の席に座っている鈴木に小声で聞いた。
「‥‥おい、問1の答、わかるか?」
鈴木は、同じく小声で答えた。
「ぬ・か・た・の・お・お・き・み」
‥‥額田王? なるほど、そうだったのか。私は、さっそく解答欄に記入した。
まわりの者は、まだ悩んでいるようだ。どうやら答がわかったのは鈴木と私だけらしい。私は、他の者にも答を教えてやることにした。
私の教えた答はまたたく間に広まった。クラスの半分近くが「額田王」と書いたようである。
そして、試験が終わった後。
教科書を開いて正解を確認していた一人が、私の所へやってきて言った。
「おい、問1.の答は、紫式部じゃないか。よくも間違いを教えたな」
‥‥なんと、額田王ではなかったのだ。私は愕然とした。
気がつくと、私のまわりを数人の生徒が取り囲んでいる。苦しい立場になったようだ。
あたりを見回すが、張本人の鈴木の姿はない。みんな、私のせいだと思いこんでいるようである。
違う。私ではない。答を教えたのは鈴木なのだ。なんとか、言い訳をしなければ。
私は、手近にあったギターを手にとると、吉田拓郎のヒット曲を歌った。
「額田王は〜、鈴木の案だし〜」