第113回   ラストエンペラー 1997.2.3


 大学時代の話である。
 東洋史の講義で、満州国についてレポートを書け、という課題が出た。図書館に行っていろいろと調べてみたものの、資料からの引用だけでは平凡なレポートになってしまう。何か、意表を突くようなレポートは書けないか、と考えた結果、いいアイデアがひらめいた。満州国の皇帝、宣統帝・溥儀に、直接話を聞けばいいのだ。きっと、どの資料にも書いていない裏話が聞けるに違いない。

 翌日、私は青森県の恐山にいた。
 イタコに頼み、さっそく溥儀の霊を口寄せしてもらう。溥儀はすぐに出てきた。
「おおお〜〜、余が溥儀であるぞ〜」
「これは陛下、わざわざありがとうございます。それにしても、日本語がお上手ですね」
「つまらぬツッコミは不要じゃ。で、何が聞きたい?」
「はい、陛下の思い出話などを聞かせていただければ‥‥」
「うむ、そもそも問題はあの日清戦争じゃ。あの戦争のおかげで、清国は深刻な事態におちいったのじゃ。だから‥‥」
「あの、そんな歴史の教科書に載っている話はどうでもいいんです。もっと、誰も知らないような話を聞かせてください」
「なんだと、無礼者! どうでもいいとはなんじゃ。そもそも愛親覚羅家といえば、古くからの名門であるぞ。先祖は続くよ〜、どこまでも〜、というわけじゃ」
「‥‥そのネタは、前に使ったような気がしますが」
「どうせ誰も覚えておらぬわ。かまわぬ」
「じゃあ、いいことにしましょう。しかし、日本の歌をよく御存知ですね」
「うむ、余は歌謡曲が好きでのう、いつも庭を散歩しながら歌ったものじゃ」
「お一人で?」
「いや、ペットの豚を連れてじゃ。歌は世につれ、余は豚をつれ、であるぞ」
「それは初耳です」
「余の歌はあまり上手くはなかったが、一人だけ、非常にほめていた男がおったのう。名は確か‥‥そうそう、広田とかいう、日本の外務大臣じゃ」
「へえ、そうだったんですか」
「広田は、周囲の者からは嫌われておったがのう、余にだけは世辞を使っていた。憎まれっ子余には媚びる、ということじゃ」
「それはそれは‥‥」
「いかん、そろそろ時間である。余は戻らねばならぬ」
「そうですか、どうもありがとうございました」
 溥儀は帰っていった。

 これでいいレポートが書けそうだ、ありがとう。溥儀よ、さらば。


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