第163回   黒猫  1998.1.5




 1月3日、私は奈良で開催された某会合に出席した。この会合では色々と面白い話があったのだが、残念ながらここに書くことはできない。「他人のプライバシーをむやみに暴露するな」と怒られたばかりだからである。
 まあいい。この会合の件は本題ではない。事件は、奈良からの帰途で起こったのだ。

 奈良を出た頃にはすでに日が暮れていた。
 第二阪奈道路に乗って大阪へ。近畿自動車道に乗りかえて北上し、摂津北インターで降りる。ここまでくれば自宅まではすぐだ。
 住宅地の狭い道、見通しの悪いカーブを曲がったとき、ヘッドライトの中に小さな影が浮かび上がった。黒猫だ。まだほんの子供のようである。
 その猫は道路に立ち止まったまま、じっと私の方を見つめていた。小さく輝くその瞳に気を取られ、避けるのが一瞬遅れた。
 右の前輪がその猫を踏みつぶす。まるで素足で踏んだような嫌な感触だった。車を止めて様子を見ようか、とも思ったが、どうせ生きているはずはない。私はそのまま車を走らせた。

 車に轢かれたら、猫などひとたまりもない。完全にミンチになってしまっただろう。肉団子ができるな。黒猫の団子。
 ……などとつい習性でダジャレを考えながら走っていたが、やがて背後に何かの気配を感じた。
 バックミラーを見る。黒猫だ。子猫を口にくわえた親猫が、私の車を追いかけてくる。
 私はあわててスピードを上げた。黒猫はまだ追いかけてくる。おかしい。猫が、こんなに速く走れるはずがない。……子猫を殺された親猫の恨みか?
 ごめん。私が悪かった。もう二度と、猫をテーマにしたダジャレは言わない。だから、勘弁してくれ。

 しかし、その猫は勘弁してくれなかった。どこまでも執拗に、私の車を追ってくる。
 駄目だ。もう逃げ切れない。私は観念して、車を止めた。
 追いつかれる、と思ったとき、私の車の横を一台のトラックが走り抜けた。それは、クロネコヤマトの宅急便のトラックだった……。


 気を取り直して、車を走らせる。
 見通しの悪いカーブを曲がったとき、ヘッドライトの中に再び影が浮かび上がった。今度は人間だ。また、避けるのが遅れた。
 その人間は、はっぴを着てわらじをはき、はちまきをしめていた。どうやら、飛脚を轢いてしまったらしい……。



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