第297回   自販機の憂鬱  2000.1.30





 飲料の自動販売機は、社屋内に十カ所以上ある。缶やペットボトルではなく、紙コップが出てきてそこに飲料が注がれるというものだ。みんなけっこう利用しているようだが、この自動販売機、どうも信頼度が低い、と思うのは私だけだろうか。缶やペットボトルなら、実際に製造されるのは品質管理体制の整った工場である。自動販売機はそれを暖めたり冷やしたりして保存しているだけだ。しかし紙コップのものは、今この場で混ぜ合わされ製造されているのである。ちゃんと正しい割合で調合されているのか、規定の量が注がれているのか、どうしても不安になってしまうのだ。
 だから、私はこの手の自動販売機はあまり利用しない。利用するとしたら、もっぱらほうじ茶である。なぜかというと、ほうじ茶は無料だからだ。ホットほうじ茶とアイスほうじ茶は、金を入れなくてもボタンを押すだけで出てくるようになっている。これなら無料なので、何かあっても少なくとも金銭的には損をしなくてすむ。
 無料で飲めるというのもずいぶん気前のいい話だが、おそらく飲料会社のサービスなのだろう。その辺の道端に置いてある自動販売機よりは利用率がずっと高いだろうし、破壊されて金を盗まれる危険も、まあ少ないだろう。そのくらいのサービスをしても十分もとは取れるのだ。とはいえ、事業所によって微妙に違いもある。この京都研究所ではホットほうじ茶とアイスほうじ茶ともに無料だが、東京支社ではホットほうじ茶は無料だがアイスほうじ茶は二十円だし、綾部工場ではホットほうじ茶アイスほうじ茶ともに十円だった。これはおそらく、綾部工場では破壊されて金を盗まれる危険が……ああいや、私はそんなことは言っていないぞ。文句は飲料会社に言うように。
 まあそれはともかく、私がこの自動販売機をあまり信用できないのにはちゃんと理由がある。この自動販売機には「クレーム票」なるものが付属していて、何かトラブルがあったときにそのクレーム票に所属と氏名を書いておくと飲料会社の係員が商品の補充に来たときに返金処理をしてくれるのだが、これをよく目にするのだ。たとえばこんなものである。


【所属部署:お名前】 購買課 野村
【内容】 100円を入れてホットコーヒーを買ったのにお釣りが出てきませんでした。


【所属部署:お名前】 総務課 田中
【内容】 レモンティーのボタンを押したのにミルクティーが出てきました。


【所属部署:お名前】 第2開発課 坪井
【内容】 ホットコーヒーがただの砂糖水だった。(無料の砂糖水という意味ではない。為念)


 こんなものが自動販売機にテープでべたべたと貼られていれば、やっぱり不安になるだろう。
 しかしこのクレーム票、観察しているとけっこう面白い。だいたい、釣り銭が出ない、商品が出ない、コップが出ないが三大クレームでもっとも数が多いのだが、中には変わったクレームもある。


【所属部署:お名前】 試作課 矢野
【内容】 リポビタンDのボタンを押したのにオロナミンCが出てきました。オロナミンCなんて、この自販機に入っていないのになぜ?


【所属部署:お名前】 第1開発課 的場
【内容】 アイスコーヒーに炭酸が入っていました。


【所属部署:お名前】 法務課 新庄
【内容】 カルピスが初恋の味じゃない。


【所属部署:お名前】 渉外課 桧山
【内容】 なぜビールが置いてないのだ? こんな仕事、しらふでやってられるか!


 この辺まではまだ理解できる。いちおう、自動販売機に対するクレームだからだ。しかし、クレーム票の内容はどんどんエスカレートしていく。


【所属部署:お名前】 秘書室 今岡
【内容】 食堂のうどんは、いつものびています。なんとかしてください。


【所属部署:お名前】 警備室 広沢
【内容】 迷い犬。スピッツ、メス3才ハイジ。ハイジと呼ぶと尻尾を振って寄ってきます。見かけた方は広沢まで。


【所属部署:お名前】 社史編纂室 大豊
【内容】 寒い。


【所属部署:お名前】 第2開発課 田村
【内容】 バイアグラ売ります。


【所属部署:お名前】 防犯課 川尻
【内容】 関係ないことをクレーム票に書くのはやめましょう。


 そう、まったくそのとおりだ、川尻さん。
 しかし、そんな指摘だけで書かなくなるほど簡単なものではないのである。


【所属部署:お名前】 第1開発課 湯舟
【内容】 膝枕など 叶いもせぬが せめて逢いたや 夢枕


【所属部署:お名前】 購買課 遠山
【内容】 うーん、夢枕ってのは普通死んだ人が出てくるのでは?


【所属部署:お名前】 第1開発課 湯舟
【内容】 ほっといてください。他人の都々逸にいちゃもんをつけるヒマがあったら、例のA/Dコンバータ、もっと安く入手できるように手配したらどうですか?


【所属部署:お名前】 購買課 遠山
【内容】 あれは、あなたがあんな特殊な部品を使う設計をしたからでしょう。ちゃんと標準品を使ってください。


【所属部署:お名前】 総務課 中込
【内容】 まあまあ、ここは私の顔に免じて……。


 とまあ、社内全体に恥をさらしてしまうことになる。困ったものだ。

 それはそれとして、この自動販売機、「氷なしボタン」なるものがあるのだが、このボタンに売り切れランプが点いていることがある。「氷なし」が「売り切れ」ってことは、常に氷が入ってしまう、ということなんだろうな? え、その辺はどうなっておるのだ?
 よし、この疑問は明日クレーム票に書いて貼っておこう。




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