第309回   バナナの気持ちはよくわかる  2000.4.23





 ふと思い立って、ダイエーでイチゴを買ってきた。
 佐賀産のとよのか一パック、久しぶりに食べるせいか実においしい。そう、イチゴは数々あれども、今日この時に私が食べるイチゴはこれ限りなのだ。一期一会。などとしょっぱなの軽いギャグを飛ばしながら考えていたのだが、どうも中年男が一人でイチゴを食べている図というのは絵にならないことはなはだしい。これが多少なりとも若くてハンサムな男なら、「春の陽射しのもとで食べるとよのかは、まるで君のような甘酸っぱい香りがしました」「な〜に言ってんだか」と、なんとか絵になりそうな気がするのだが、私がイチゴを食べてもダメである。
 かといってリンゴやミカンやキウイやパパイヤやマンゴーやプリンやショートケーキやこんにゃくゼリーやジャイアントコーンならいいかというと、これもなかなか絵にならない。困ったものである。私には、果物やおやつを食べる権利さえないというのか。せいぜいビールでも飲みながら阪神タイガースの八連勝を見て束の間の幸せに酔いしれるのが関の山だというのか。しくしく。

 まあ別に泣かなくてもいいのだが、やはり果物を食べて絵になるのは女性の方だろう。かといって、どんな女性がどんな果物を食べても絵になるわけではない。そこにやはり、似合うものと似合わないものがある。たとえばイチゴなら、小学生くらいの元気な女の子だろう。おやつに食べるのが一番だ。
 で、これがもう少し成長して色気づくころになると、これはもう何といってもスイカである。夏の夕暮れ、浴衣を着て縁側に座りスイカにかぶりつく下町娘。タネを庭先にぷぷっと飛ばしたりするのも実に絵になる。
 そして、この女の子がさらに成長すると結核にかかってしまう。療養先は軽井沢にあるしゃれた洋風の別荘。となると、ここはやはりメロンでなくてはならない。深窓の令嬢にはメロンがよく似合う。窓際のベッドで外の風景などをながめながら、銀のスプーンでメロンを口まで運ぶのだ。あくまで可憐に上品に。決して手の甲で口元をぬぐったりしてはいけない。ここはやはり、当時発売されたばかりの高級品のやわらかいティッシュペーパーでなければ。……って、当時というのはいつのことなのかよくわからないが。
 ついさっきまで下町娘だったはずだが、などと言わないように。人生、一歩先には何があるかわからないのだ。父親の経営する小さな町工場が当時の軍需景気で大儲けして急激に成長したのだろう。この程度の有為転変はよくあることである。
 そしてなんとか結核も完治し、和服の似合う日本髪の美人に成長していく。このころには慣れない相場に手を出して会社は倒産、父親は借金取りに追われて行方不明という状況になっている。いたいけな少女だったこの女性も、今や粋な黒塀の妾宅に囲われて猫と暮らす毎日だ。すっかり色っぽい女になっている。こうなると、似合うのは梨である。切った梨を和風の食器に盛り、爪楊枝などを刺しておけば完璧だ。実に絵になる。
 しかし、そういう時期も長くは続かない。さらに年を取って中年にさしかかると、今度はミカンだ。若いころは頻繁に訪れた旦那様も今は若い子に夢中でとんとご無沙汰である。こうなると毎日が悠々自適、こたつでミカンを食べながらテレビのワイドショーなどを見ているのがよく似合う。そしてさらに年を取っておばあさんになってしまうと、何といっても柿である。
 買ってきた柿ではない。庭に植えられた柿の木になった、小さいが甘い実。この柿の木は、彼女とともにこの家で暮らしてきたのだ。使い込んだ果物ナイフで、彼女は柿の皮をむく。あの旦那も今は他界したが、この家を彼女に残してくれた。あと何回、この柿を食べられるだろうか。わたしがこの世を去ったあとも、この柿の木は毎年実をつけ続けるに違いない。そんなことを考えながら、彼女は夕陽に照り映える柿を見つめるのだった。
 しかし現実はそう甘くはなかった。彼女がこの世を去ったあと、およそ風流や郷愁などとは縁のない土地区画整理事業によってこの家のある土地はガソリンスタンドとなり、柿の木は切り倒されてしまうのだ。ガソリンスタンドだけに柿厳禁です、などというオチまでつけて。

 ……とまあ、はからずも果物をモチーフに一人の女性の人生を追いかけてしまったが、まだまだ登場しなかった果物も多い。たとえば桃だと、なんとなく中国の仙女が似合いそうな気がする。レモンなら文学少女が丸善京都店の画集の上に置いてくるのが似合うし、リンゴなら美空ひばりが似合う。ブドウならスタインベック、どくとるマンゴーなら北杜夫、ドリアン先生なら遠藤周作だ。む、この人たちは男か。ならばやはり、男にも似合う果物がありそうだ。そう、たとえばアボカドなどはどうだろうか?
 そういえば昔、中村雅俊が歌っていたっけ。恋人も〜濡れるアボカド〜。




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