第15回   フロイトに鉄槌 1996.9.29


 えー、なんの因果か、私がフロイトおじさんに鉄槌をくだすはめになってしまいました。
 フロイトに鉄槌をくだしてどういう効果があるのか、私にもよくわかりませんが、とにかくくだしてみましょう。あの顔がどうも気にくわないし<そんな理由か、オイ。
 調子に乗って、かなり長くなってしまいましたがご容赦を。

 あ、それからかわちゃん。
 俺のことならいくら書いてもかまわないが、フナイんちとマレニんちにはしばらく首を突っ込まないように。
 でないと、キミにも鉄槌をくだすぞ<こらこら。

 世の中には、本物の「科学」、および、科学に見せかけた「疑似科学」がある。
 心霊術・占星術・バイオリズム・UFO・バミューダトライアングル・ムー大陸などは、すべて疑似科学である。そして、フロイトの精神分析学も、科学ではなく疑似科学の領域に属するのだ。
 疑似科学の特徴のひとつとして、「反証不可能な仮説」、すなわち、どんな証拠を持ってきても間違いであることが証明できない仮説があげられる。そんな仮説ならば正しいに違いない、と思うかも知れないが、実際は正反対である。たとえば、こんな仮説を例としてみよう。
 「私、うえだたみおは全知全能の神である。この全宇宙は、私が1分前に創造したものだ」
 これに対して、あなたはこう反論するだろう。
 「そんなことはない。私は、何年も前の記憶を持っている。だから、あなたが1分前に全宇宙を創造したというのは嘘だ」
 しかし、私はこう答える。
 「私は、この宇宙を創造したとき、すべての人間を、過去の記憶を持った状態で創造したのだ」
 しばらくはこんなやりとりが続くだろうが、結局、私が神でないことは証明できないのだ。しかし、この仮説がばかげていることは確かだろう。

 そして、精神分析について。
 まず、反証できない仮説をひとつ、あげておこう。
 フロイトは、「すべての男性には潜在的にホモの傾向があるが、大部分の男性ではそうした傾向は抑圧されている」と言っている。確かに、ホモの男性はホモの傾向を持っているだろう。しかし、それ以外の、正常なセックスの傾向を持つ男性はどうだろうか? この文を読んでいるあなたが(男性だとして)ホモの傾向などまったく見られなかったら、どうするのか?
 精神分析学での標準的な解答はこうである。あなたのホモ衝動は完全に抑圧されていて、どんなテストをしても表面にあらわれてこないのだ。
 このような反証不可能な仮説を持ち出されると、ホモの傾向がないことを証明するのは不可能である。どれだけテストの精度を上げても、「そのテストでは確認できないほど深く抑圧されているのだ」という答が返ってくるだけである。

 フロイトの理論によれば、我々の精神は三つの意識状態(意識、前意識、無意識)が複雑に絡み合って構成されているが、この中で重要な役割を果たしているのが無意識である。人間の無意識には抑圧された欲望や衝動が閉じこめられていて、それが様々な精神疾患の原因になっているという。
 精神分析医は、ソファに横たわったりしてくつろいでいる患者に自由連想させて聞き出した言葉や、夢の内容、日常生活での些細な言い間違いなどを手がかりに、それを象徴的に解釈することによって患者の無意識の世界にメスを入れる。
 しかし、まさにこの方法論こそが問題なのだ。なぜなら、患者自身が分析結果を否定しても、分析医の解釈が間違っていたことにはならないからである。
 もう一つの例。
 たとえば女性の患者が、男性が部屋のドアから強引に入ってきた夢を見たとしよう。フロイト理論ではドアはヴァギナを象徴しているため、分析医は、「この女性には男性からレイプされたいという抑圧された願望がある」と解釈する。もちろん、患者にそれを尋ねてみても否定するだろう。このような願望こそ、もっとも深く抑圧されているため、意識上にはのぼってこないことになっているからである。
 一般的に、「夢の象徴的解釈」なるものは(フロイト理論に限らず)どれも反証できない仮説であり、科学とは言えないだろう。

 フロイトの理論すべてが「反証できない」わけではなく、「反証できる」仮説も存在する。しかし、このような反証できる仮説は、本当に反証されてしまって、間違っていることが証明されているのである。それを、以下に紹介しよう。生物学からのアプローチである。

 ヒトの女性がオーガズムに達する際の解剖学的部位についてであるが、これはクリ○リス‥‥いや、自分のホームページだから伏せ字にすることはないな、クリトリスを中心とした一帯にあるのだ。
 我々男たちには直接経験することができないのでなかなか理解が難しいのだが、『キンゼー報告』(1953年)などを読めば明らかになるだろう。このキンゼー報告での解剖学的研究には、「クリトリスには感覚器が男性のペニスと同じくらい豊富に存在し、それ故同じくらい興奮できる」、そして「ヴァギナには触覚の末端器はなく、どの部分でも無感覚の人が大部分である」と述べられている。また、自慰についても、84パーセントの女性が「主に陰唇およびクリトリスを刺激することによって自慰をおこなっている」と報告されており、さらに性交についても「性交によってオーガズムに達するのは30パーセントに過ぎず、それも同時にクリトリスを手で刺激しながらでないと達しないことの方が多い」と述べている。
 では、なぜクリトリスがオーガズムのための主要部位なのか。答は簡単である。クリトリスとペニスは相同な器官であり、解剖学的には同じ反応力を備えた、同一器官なのである。
 ところが、フロイトは、「クリトリスによるオーガズムは幼児性のあらわれであり、ヴァギナによるオーガズムへ移行するのが成熟した女性である」と主張している。そこにはおそらく、「男のうぬぼれ」があったのだろう。女性の性的喜びが、自らの性交の努力の直接的な結果として生み出されるのではないかもしれない、といった考えは、あまりうれしくないからだ。しかし、うれしくなくとも、これは事実である。フロイトは間違っていたのだ。
 この件は、単に「間違ってました」だけではすまないほどの問題をはらんでいる。

 フロイトは、『性欲論三編』(1915年)の中で、こう述べている。
 「クリトリスからヴァギナの入口へと、性感帯をうまく移行させることができてはじめて、女性は後年の性愛活動にとって主導的となる領域を取り替えたことになる」
 フロイトは、このように、「生物学的に不可能な移行」を女性たちに押しつけていたのだ。
 この考えがもたらした害毒は二つある。
 第一は、不感症を、クリトリスからヴァギナへのオーガズム部位の移行に失敗した結果だと定義したことである。それどころか、性の喜びを享受している女性であっても、それがクリトリスへの刺激による場合は不感症ということになる。
 第二に、女性がヒステリーや神経症にかかりやすい(と思われている)理由を、移行の困難さに求めたことである。男性は子供のころからの性領域をそのまま保てばいいだけなのに、女性はクリトリスからヴァギナへの危険をはらんだ移行を成し遂げなければいけないのだから。

 フロイトの間違いは、要するに、生物学的にはきわめて正常な女性の性現象を、幼児的性向を消してしまえなかったために生じた異常な状態とみなした点にある。
 フロイトのこの間違った理論は、健康で聡明な多くの女性を長年にわたって真剣に悩ませてきた。フロイトの罪は重い。

   では、我々は、フロイトとどのように「つきあって」いけばいいのだろうか。
 当然、疑似科学に対しては疑似科学なりのつきあい方があるだろう。完全に黙殺するのもひとつの方法である。
 それではあまりに不粋だ、という人は、「遊んでやる」ということでもよい。要は、星占いや血液型性格判断と同じレベルで、「楽しんで」しまえばいいのである。ただし、決してのめり込んだり絶対視したりはしないこと。相手は科学ではなく、疑似科学なのだから。



 参考資料:『がんばれカミナリ竜』スティーヴン・J・グールド


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