第30回   京都に原爆が落ちた日 1996.10.16


 1945年8月4日。
 彼の操縦するB29エノラ・ゲイは、右手に朝日を臨みながら、日本の領空へ侵入しようとしていた。乗員は、機長の彼、爆撃手、兵器係の3人である。
 長かった戦争も、おそらく、この作戦で終焉を迎える‥‥彼は、遥か下方、紀伊半島の山々を眺め、そう考えていた。
 テニアン島の基地を離陸したのはまだ夜明け前である。その後、兵器係が機内でリトルボーイへの起爆装置の取り付けを完了させている。
 リトルボーイ‥‥直径71センチ、長さ約3メートルの、ウラン型原子爆弾である。エノラ・ゲイは、なおも抵抗を続ける大日本帝国に最後の一撃を与えるべく、京都へと向かっていた。
 しばらくして、眼下に京都の町並みが広がる。「爆撃の処女地」である京都は、まったく戦争の翳を感じさせない。少なくとも、彼にはそう思えた。
 エノラ・ゲイは、京都上空9600メートルでリトルボーイを投下した。投下釦を押したのは爆撃手である。エノラ・ゲイが投下地点から23キロメートル遠ざかったとき、リトルボーイが爆発した。

 八坂神社の上空200メートルで、リトルボーイが爆発した。
 目も眩むばかりの閃光が疾る。その瞬間、八坂神社は地上から消滅していた。一瞬の静寂の後、爆風が京都市街を駆け抜け、その膨大な破壊力を恣にする。
 艶やかな波のような町家の甍が、跳ばされる暇もなく消滅した。平安から受け継がれた御所の建物が炎に包まれ、金閣寺、銀閣寺、平安神宮、数多ある無名の神社仏閣も原型を留めぬまでに破壊され、数え切れないほどの文化財が灰燼に帰し、すべてが茸雲の下で命運を絶たれた。
 物だけではない。男も、女も、子供も、老人も‥‥古都・京都で暮らす何万もの人々の生命が、一瞬にして奪われたのだ。
 千年以上に渡ってこの国の歴史を見続けてきた街は、一発の原爆によってその歴史を終えた。

 遥か彼方に噴き上がる不気味な茸雲を見ながら、彼は考えていた。
 ‥‥ジャップどもが何万人死のうがかまわないが、あのエキゾチックな京都の街を破壊してしまったのは、少しもったいなかったな。わが合衆国が日本を占領したとき、あの町並み、あの文化財の数々は、きっと俺たちの目を楽しませてくれただろうに。やはり、原爆はどこか別の都市に落とすべきではなかったか‥‥。

 遡る7月24日。
 トルーマン大統領は、戦略空軍司令官カール・スパーツ中将に対し、「8月3日以降、天候が許す限り速やかに、日本の都市に原爆を投下すべし」という命令を出していた。候補となったのは広島、長崎、京都、新潟、小倉の5都市。そして、原爆はリトルボーイとファットマンの2発。
 誰が、どんな理由で、5都市のうちから2都市を選択したのか。今となっては知る由もない。


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