第39回   サルでもわかる進化論 1996.10.26


 進化論は、非常にむずかしい。特に、現代進化論ともなれば、DNAだとか進化的に安定な適応戦略とか遺伝的浮動とか中立突然変異とか断続平衡とかマイオティックドライブとか、むずかしい用語をたくさん使う。
 しかし、もっとむずかしい理由は、実際に進化を目撃した人があまりいないということだ。いや、ほとんどいない。いや、まったくいないと言っても過言ではないだろう。
 で、今日はその進化論を、なるべくわかりやすく説明しようというのだが、はたしてうまくいくかどうか。何しろ、私自身は進化したことがないのだから。

 ダーウィン流進化論と言えば、誰でも「自然淘汰」という言葉を思い浮かべるだろう。この概念は、非常に単純でありながら、しかも非常にむずかしい。ダーウィンの『種の起源』では、以下のように定義されている。

 もしもある生物にとって有用な変異が起こるとすれば、このような形質を持つ固体は確かに、生活のための闘争において保存される最良の機会を持つことになろう。そして、遺伝の強力な原理に基づき、それらは同等な形質を持つ子孫を生じる傾向を示すであろう。このような保存の原理を、簡単に言うため、私は「自然淘汰」と呼んだ。

 ‥‥いや、上の文章は読まなくてもよい。要約するから。
 つまり、「生存競争の結果、最適者だけが生き残る」という、非常に簡単、まったく当たり前のことである。
 すると、「最適者」とは何か? が次の問題になる。
 現代の正当派進化論(ネオ・ダーウィニズム)では、次のように定義されている。

 最適者とは、適応度がもっとも高い個体を言う。なお、(特定の遺伝子型についての)適応度とは、(その遺伝子型を持つ)1個体が平均して次の代に残す個体の数(ただし生殖年齢に達するまで生き残るものの数に限る)を言う。

 ‥‥いや、上の文章も読まなくてもよい。要約するから。
 つまり、「たくさん生き残るやつが適者だ」ということである。
 これでもう、おわかりだろう。結論はこの2つ。

 「適者が生存する」
 「生存者が適者である」

 ‥‥はて。よく考えたら、これでは何の説明にもなっていないではないか。単なる同義反復である。どこかで間違えたのか? いや、この私に限って、間違えるなどということがあるわけがない。するとやはり、進化論の方がおかしいのだ。

 なんということだ。自然淘汰は進化の説明になっていない。やはり、進化論はサタンの手先だったのだ。私は明日から、創造論原理主義者になることにしよう。(←ラマルキズムあたりで妥協しておけって)


第38回へ / 第39回 / 第40回へ

 目次へ戻る