第38回   地球にやさしい? 1996.10.25


 そうですか、最近の「ぽたぽた」がつまらなかったのは、独断や妄想がなかったからなんですね。では、今日はそれで行ってみましょう。
 このように、読者の意見によってころころ方針を変えるところなんか、『少年ジャンプ』の連載漫画を彷彿とさせますね。違うか。
 というわけで、今日は暴論モード。

 地球にやさしい、という言葉がある。
 環境保護のスローガンとして有名な言葉であるが、私は、この言葉が気に入らない。
 何をトチ狂ったのか、ガソリンまでがエコマークを取って「地球にやさしい」などと言い出したからか? それもある。環境保護をスローガンに、テロ行為をくり返す集団がいるからか? それもある。
 しかし、もっとも気に入らないのは、「地球にやさしい」という言葉が持つ、傲慢さ、である。

 環境保護の基盤としては、次のような論理的根拠が提示される場合が多いようだ。
 1.我々は、人間が原因で取り返しのつかない脱線転覆の危機にさらされているもろい惑星に住んでいる。
 2.人類は、危機にさらされている地球の財産管理人として果たすべき役割を学ばねばならない。
 まあおそらく、善意から出た見解ではあろう。しかし、これはうぬぼれである。
 我々は何百万という生物種のうちのひとつに過ぎず、地球の持ち主などではない。地球の年齢は45億歳である。その、膨大な時間の4分の3をかけて進化し、多様化してきた生物で満ちあふれている地球上の出来事に、ほんの20万年前に登場したばかりの新参者の人類が、いったいどういう理由で責任を持てるというのか。
 地球は、人間のために存在しているのではない。我々が登場したことなど気付いてもいないし、気にかけてもいないだろう。

 人々は、人類の力を過信している。地球自身の地質学的時間尺度で見れば、地球に対する人類の力など、事実上無に等しい。地球上の核兵器すべてを合わせれば、その破壊力はメガトン級であろうが、それでも、白亜紀末の恐竜の大量絶滅を引き起こすきっかけとなった(と推定されている)直径10キロの小惑星の破壊力の1万分の1でしかない。
 そんな衝撃にさらされてもなお、地球は生き延び、人類を含む大型哺乳類が進化する道を開いた。

 我々は、地球の温暖化を憂慮している。しかし、多くの予測モデルによると、現在の地球は、様々な生物が栄えた人類登場以前の幸福な時代よりもはるかに冷涼であると推定されているのだ。
 われわれ人類は、自らを破滅させ、多くの生物種をその道連れにすることはできる。しかし、バクテリアの多様性を少しでもくじくことなどできないし、何百万種もの昆虫をすべて滅ぼすことなどできはしないのだ。
 地質学的時間尺度で見れば、地球は自らをうまく管理するだろうし、人類のいかなる愚行、悪行の傷跡も、時間がいやしてくれるだろう。

 だから、「地球にやさしい」などと傲慢なことを言うのはやめようではないか。環境保護は、決して、「地球のため」などではないのだから。
 環境保護‥‥それは、なにより、「人類自身のため」のものである。現在の生活の見栄えと居心地の良さ、我々に「役に立つ」生物、我々が「見て楽しい」生物、そういったものを守るためにこそ、環境保護が必要なのだろう。

 ‥‥なんだか、あまり暴論にならなかったな。やっぱり結論は、「だから環境保護など気にする必要はない。どんどん自然を破壊せよ」の方がよかったか?<こらこら

 では、明日の暴論は、「自衛隊分割民営化」について。(うそ)


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