第43回   枷にはめる 1996.10.31


注:ブラウザのウインドウの横幅を広げてお読みください。

をはずせと言われたのに枷にはめてしまいました。でもちょっと意味が違うような、いや、かな
お幅に違うような、いやいや、次元からして違うような気がしますが、たまにはこんなふうに枷
まるのもいいでしょう。さて、この枷の中でいつものようにネタを披露するわけですが、これは
いなあ。「形式が前衛ならば内容はオーソドックスに」とゲーテも言っているように、私たちの
んのこと、幕末の話でもしましょうか。まずは、村田蔵六であるが、十八才の時、故郷から防府
、医学の勉強をするために旅立った。当時の十八才とは、学問をはじめるには遅すぎる年だが「
、そうですか」とあきらめるような蔵六ではない。梅田幽斉の門下に入ったが、医学書を見て「
かんな〜い」と弱ってしまったらしい。なんと蔵六は、漢文が読めなかったのである。私に言わ
ば、漢文が読めずに学問を志すとは不届き千万とどろき一番といったところである。これではと
い医学を学ぶことなど出来ないので、仕方なく彼は一旦漢文の先生の所で勉強し、一年後、こん
大丈夫だろうと再び梅田幽斉の元へ帰ってきた。そして医学を本格的に学ぶことになるのだ。す
は好きですか? などと唐突に聞いてしまいました。すいません。これもすべて、何とか枷には
ための苦肉の策なのでお許しを。さて、話を幕末に戻して、村田蔵六の話はもう飽きたので今度
うしようかな、などと考えているわけで、シーボルト・おイネの話にしよう。おイネの父はかつ
みの向こうのオランダからやってきた、あのシーボルトである。彼はオランダ船の船長で‥‥あ
んちょうじゃなかったっけ?そうそう、船医だった。彼が長崎に滞在している時、どんな事情か
の知るところではないが、遊女おタキとの間にもうけた子がおイネだ。混血児といえば、たいて
差別の対象になるものだが、まわりにいる純粋な日本人と比べて、顔立ちや髪の毛の色がちょっ
んな混血児は当時の長崎には結構多かったらしくおイネものびのびと育ったようである。当時の
うからすれば幸運な例と言えよう。ここで話はなぜか唐突に坂本龍馬に変わる。龍馬といえばま
ず、いや、非常に有名であるが、彼には乙女という姉がいた。この姉が男勝りの剣術好きで龍馬
んばって何とか姉に勝とうと、子供の頃は非常に努力していたらしい。そのがんばりが後の龍馬
っぱな人物へと鍛え上げることになる。のかもしれない。というわけで今日のオチは龍馬におま

第42回へ / 第43回 / 第44回へ

 目次へ戻る