‥‥魔法陣は完成した。星宿も月齢も時刻も、悪くはない。あとは、悪魔を呼び出す呪文を唱えるだけだ。
私は、魔法の書『ソロモンの真の鎖骨』を手に取ると、一節を読み上げた。
「急ぎ、みな来よ、霊たちよ。汝らの王の魔力によって、汝らの王たちの七つの王冠と鎖によって、地獄の霊はすべて、われが呼ぶときには、この魔法の輪の前に現れねばならぬ。汝らはすべて、われに従い、力の及ぶ限りわが望みをかなえよ。東西南北、四方より来よ。神なる者の機能にかけて、われ、願い、命ずる」
日本語訳の呪文でよかったのか、という疑問が頭をよぎったが、どうやら成功したようだ。煙とともに、悪魔が姿を現した。蜘蛛の胴体に、人間と猫とヒキガエルの頭がついている。
この姿からすると、バアル‥‥ソロモン王に封印された七十二柱の魔人のうちの一人らしい。予想外の大物が召喚されたので、私は少しびびっていた。
悪魔は言った。
「あ、あなたですか、私を呼びだしたのは。どうもありがとうございます」
「‥‥なんだ、ずいぶん腰の低い悪魔だな。まあいい。さっそく、私の願いをかなえてくれ」
悪魔が低姿勢なので、私は、つい、高姿勢になってしまった。
「願いをかなえる力なんて、今の私にあるわけがないじゃないですか」
「力がないだと? ‥‥なんだ、そんなやつには用はない。とっとと帰れ」
「ああっ、どうしてそんな冷たいことを言うんですか。ひどい。人非人! 鬼! 悪魔!」
「悪魔はお前だろうが」
「それそれ、そのことなんです。呼び出されたのも何かの縁、せめて、私の身の上話を聞いてください。これが、聞くも涙、語るも涙の物語で‥‥。」
悪魔は本当に泣き出した。ずいぶん情けない悪魔だ。
「ほら、泣くなって。話くらいなら聞いてやるから」
「ううっ、ありがとうございます。‥‥実を言うと私、昔は悪魔じゃなかったんですよ」
「その話は知っているぞ。堕天使ルシファーの話だろ。確か、ルシファーはもともと美しい天使だったが、自分の力は神をもしのぐと思いこみ、配下の天使を率いて神に反逆したが、戦いに負けて地獄に落とされ、悪魔王サタンになった、ということだ。お前は、そのルシファーの部下だったんだろう」
「違いますよ、うっうっ。それは、キリスト教が勝手にでっち上げた話で、私は、本当は神なんです」
私はだんだん興味をひかれてきた。悪魔のことだから話半分としても、なかなか面白そうだ。
「よし、くわしく話してみろ」
「では、お言葉に甘えて‥‥。私は古代カナーンの神で、嵐や雷などをつかさどり、雨をもたらして作物を実らす豊饒神だったんです。人間のために、レヴィアタンと戦ったこともありました。こう見えても、カナーンでは結構信仰されていたんですから」
「そんなお前が、なんで悪魔にされたんだ?」
「すべてはキリスト教のせいなんです。彼らは、キリスト教を布教するため、善良なカナーンの人々をたぶらかしたんですよ。彼らは、カナーンに来て人々にこう言ったんです。『お前たちの信仰していたバアルは、神ではなく悪魔だ。お前たちは、いままでだまされていたのだ。キリスト教の神こそが、真実の神である』ってね。ひどい話でしょう?」
「うーむ、でもカナーン人はそれでキリスト教に改宗したんだろう? お前、実は、あまり信仰されてなかったんじゃないか?」
「そんなことはありません。やつらのやり口ってのがひどくて、最初は穏やかに説得するんですが、改宗しないと見るや武力に訴え、弁護士は誘拐するわサリンはまくわ、そりゃもう無茶苦茶なんですから」
「‥‥そんなこと言うと、話に信憑性がなくなるぞ」
「ああっ、すいません。ちょっと誇張入ってました」
「なるほど、大体わかった。なかなか面白い話だった。じゃあな」
「じゃあな、はないでしょう。あっ、あなた、ひょっとして信じてませんね?」
「悪魔の言うことだからなあ‥‥」
「だから、本当は悪魔じゃないんですって。私と似た境遇の者は、沢山いますよ。アモンだってアスモデウスだってアスタロトだってダゴンだって、それぞれの土地では神だったのにキリスト教のせいで悪魔にされたんですから。ひどいのはバフォメットです。彼は、サバトや黒ミサを司る悪魔にされていますが、もともとはイスラム教の開祖のマホメットなんです」
「マホメットまで悪魔にされているのか‥‥」
「ちょっとは信じてくれました?」
「いや、まだまだ」
「うーん、では、とっておきのネタを紹介しましょう。これは極秘なんですが、実は今、私たちの間で、キリスト教の神に戦いを挑む計画が進行中なんですよ」
「なに? それはひょっとして、ハルマゲドンってやつか?」
「だから、そのハルマゲドンってのもキリスト教の考えなんですよ。私たちには関係ありません。あなたも、ずいぶんキリスト教に毒されてますね」
「うっ、そうか。気をつけよう。‥‥ん? ちょっと待てよ。もしかして、お前たちが勝ったら、私の願いをかなえられるようになるのか?」
「ご明察! 神だった頃の力を取り戻せば、願いなんかいくらでもかなえてあげます。もちろん、魂をよこせ、なんてケチなことは言いません」
「そうか、だったら応援するぞ、がんばれよ」
「ううっ、ありがとうございます」
泣きながら、悪魔(いや、神か?)は消えた。
うむ、なかなか面白いことになってきたぞ。
しかし、あんな情けない悪魔を率いて戦わねばならないなんて、大魔王サタンも大変だなあ。サタン苦労す。
‥‥ああっ、やっぱりキリスト教に毒されているのかも。いや、毒されているのはダジャレの方か?