第103回   来たの、国から(前編) 1997.1.15


 私は、10才の時まで韓国で育った。そう、韓国は私の故国である。
 韓国は、今でこそ民主化されているが、私が子供の頃は軍事独裁政権下にあった。そして、私の父は、独裁政権に抵抗を続けるゲリラだったのだ。

 父は花火師だった。花火師と言っても、横山エンタツの相方ではない。それはアチャコである。花火師だったから、当然、火薬の扱いには精通していた。だから、ゲリラの中では重要な位置を占めていたのだ。
 当時、私の家は釜山の郊外にあった。湖のほとり、森に囲まれた閑静な農村である。静かな湖畔の森の過激派、というやつだ。そして、ゲリラの本部は、近くの山、通称「げんこつ山」にあった。げんこつ山のパルチザン、ということだ。
 ゲリラたちの結束は固く、政府もその存在には手を焼いていたようだ。父の所属するゲリラ部隊は、着実にその成果をあげていた。

 しかし、あの日‥‥。
 ゲリラの本部が、政府軍に急襲された。ゲリラと政府軍、まともに戦えばその武力の差は歴然である。ゲリラは壊滅状態となり、私の父と母も、そこで命を落とした。私と妹は、一度に両親を失ったのだ。
 悲嘆にくれる私たちに、ゲリラの生き残りが衝撃的な事実を教えてくれた。ゲリラの中に裏切り者がいて、そいつが政府軍に情報を流していた、というのだ。その裏切り者とは‥‥父の弟だった。そう、敵はほんの叔父にあり、ということだ。
 それを聞いて、私と妹は復讐を誓った。裏切り者の叔父を許すわけにはいかない。父が残したダイナマイトを持って、叔父の家へと向かった。

 深夜。私と妹は、包丁とダイナマイトを持って叔父の家へ向かった。腹にはサラシを巻き、ダイナマイトはそこにはさんである。包丁一本、サラシにマイト、ということだ。
 幼い私たちにそれほどの行動力があるとは思わなかったのだろう、叔父の家は無警戒だった。私と妹は、難なくダイナマイトを仕掛けることに成功した。そして、叔父の家を爆破して父母のかたきを取ったのだ。これにて一軒爆発、というやつである。

 復讐は成功したものの、私と妹は韓国には居られなくなった。だから、日本へ行くことにしたのだ。もちろん、パスポートなど降りるわけがないので、密航するしかない。私たちは釜山港へ行き、そこに停泊していた日本の漁船、第七封印丸へと潜り込んだ。さいわい、気付かれることもなく、第七封印丸は出港した。

 私たちは、船倉で眠り込んでいた。しかし、船員たちの朝は早い。早起きは専門の職、ということだ。私たちは、簡単に船員に捕まり、船長の前に引きずり出された。
「船長、このガキどもが‥‥」
「なるほど、船倉に知らない子供たち、ということか」
 この船長は、話がわかりそうだ‥‥そう思った私は、いきさつを話した。船長も同情してくれたようで、同乗を許可してくれた。同乗するなら金をくれ、などということは言わなかった。

 船は金沢に着いた。だが、船長の温情にすがるのもここまでだ。ここから先は、私と妹の二人で、道を切り開いて行かねばならないのだ。私たちは船長に礼を言うと、夜の闇にまぎれて船を降り、山へと入っていった。あとは能登なれ山となれ、という心境だった。

 私と妹は能登の山中をさまよった。苦しい道行きだった。
 妹は転んでしまい、足に怪我をしたが、どうもその怪我がよくなかったらしい。高熱を発している。もしかしたら、破傷風かもしれない‥‥そんな恐怖が、私の心をよぎった。
 そして、ある雨の日の朝。私たちは、関所のような谷を越えた。関越え、能登に、朝だ雨‥‥そんなことを考えながら、私たちがたどり着いたところ、それは山中の禅寺だった。


 (つづく)


第102回へ / 第103回 / 第104回へ

 目次へ戻る