第108回   通院再度 1997.1.24


 唐突だが、女性が早退するのは生理が原因である、という理論を思いついた。早退生理論である。

 なぜこんなことを考えたかと言えば、私も早退したからだ。また虫歯が悪化してきたのである。今度は左下の親不知だ。だから、会社を早退して歯医者に行くことにした。

 この前の歯医者は痛かったので、別の医者を探すことにする。駅から出て最初に目についたのは、「須原歯科」という看板である。なんだかいかがわしいような気がしたが、とりあえず入ってみることにした。「あほら歯科」よりはましだろう。
 受付で保険証を出し、症状を話す。受付に座っていたのは、戸川純に似た女性だった。待つほどもなく、診察室に通される。出てきた歯科医も女性だった。三十才くらいだろうか、けっこう美人である。私は内心よろこんだ。男の医者よりも女医の方が好きである。いよっ、異性がいいねえ。
 歯科医はさっそく診察を始めた。親不知を見て言う。
「いけませんねえ。完全に穴があいています。痛いでしょう? 穴があったら歯が痛い、と言いますからねえ」
 うっ、それは、私が言おうとしたのに。
「すぐに抜きましょう。さっそく麻酔を‥‥」
 それはマスイ。いや、マズイ。今日はこれから、友人と食事に行く約束なのだ。会社を早退していながら食事の約束は守るとは、われながらいい度胸だとは思うが。
 しかし、歯科医は有無を言わさず麻酔の注射を打った。だんだん左顎の感覚がにぶくなってくる。まわらない舌で、私は聞いた。
「これから、しょくしのやくそくがあるんれすが、らいりょーぶれしょうか?」
「大丈夫です、この麻酔はすぐに切れます。効くは一時のはず、ですから」
 ‥‥またネタを取られた。

 抜歯はあっさりと終わった。痛みはまったくない。大した腕である。これなら、食事もできそうだ。
 礼を言ってから受付に行くと、戸川純似の女性が料金を告げる。
「はい、1990円になります」
 私は千円札を2枚渡した。受付の女性は診察券をくれると、そのまま奥へ行ってしまった。ちょっと待て。10円のおつりがあるはずだぞ。私にとっては、10円だって大金なのだ。私は、受付の奥に向かって叫んだ。
「おつりだって、払ってほしい」


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