第117回   すべてが寄付になる 1997.2.24


 なんということだ。私の兄が、宝くじに当たったらしい。それも1億円である。
 まあ、毎回誰かは当たっているわけだが、まさか自分の兄が当たるとは思わなかった。くじも当たればはずれまい、ということか。
 とにかく、1億円である。私にも少しくらいは分け前があるかもしれない。いや、兄弟なのだから絶対あるはずだ。私はさっそく、兄の家に向かった。

 兄はなんだか不機嫌そうだった。私から目をそらし、窓の外ばかりながめている。まさか、私が分け前をせびりに来たとでも思っているのか? 情けない。弟が信じられないというのか。そんなに目をそらさないでくれ。こっちを向いてよ、兄〜。
 そうこうしているうちに、玄関のチャイムが鳴った。兄は相変わらず外をながめたままなので私が出る。背広を着た男が立っていた。
「どうも、おめでとうございます。宝くじの賞金は、是非、わが銀行へ定期預金を‥‥」
 なるほど、うわさには聞いていたが、宝くじに当たるとこんなのがやってくるわけか。
「預金などしないぞ! 帰れ!」
 奥から兄が怒鳴る。それを聞いた男はそそくさと引き上げた。
「‥‥まったく、朝からずっとこの調子だ。うっとうしくてたまらん」
 不機嫌の原因はこれだったか。
 その後も、銀行はもとより、なんだかわけのわからない団体が寄付を求めてやってきた。

「全国まねきねこ愛好会ですが、是非寄付を‥‥」
「帰れ、帰れ」

「戦う自然保護団体『地球防衛軍』の者ですが、闘争資金の支援を‥‥」
「知らん、知らん」

「黒柳徹子にセーラームーンのコスプレをさせる会代表の者ですが‥‥」
「見たくないぞ、そんなもの」

「禁酒運動撲滅対策委員会設立阻止同盟反対協議会関西支部の者ですが‥‥」
「‥‥ん? で、結局禁酒に賛成なのか反対なのか?」
「どっちでもいいじゃないですか。とにかく、寄付を」
「‥‥とっとと帰れ」

 私までいやになってきた。仕方ない、今日のところは引き上げるか。兄の機嫌がなおるまで待とう。

 それから数日後、兄が入院したとの知らせがあった。胃炎らしい。丈夫なだけがとりえの兄だったのに、どうしたというのだ。私はさっそく病院へ向かった。

 病室にはすでに先客の男がいた。何やら兄と話している。
「‥‥それでは、全額を市の交通安全協会に寄付する、ということでよろしいですね?」
「ああ」
「ご協力ありがとうございます。あなたのような方がいてくださると助かります。いま我が市は、大々的に交通安全運動を繰り広げている最中でして‥‥。市をあげて横断歩道をつくろうよ、というわけです」
 なんだと。全額寄付してしまうというのか。何の見返りもなしに。ああ無償、である。なぜ急にそんな気になったのだ。私は呆然と立ちつくしていた。
 そんな私を尻目に、男は書類を取り出す。
「では、さっそく手続きをします。ここに住所と名前を書いてください」
 ‥‥なるほど、兄の書く欄、か。


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