第166回 聖火リレーの光と影 1998.2.5
さあ、いよいよ聖火リレーのゴールの時が近づいてきました。ここ長野オリンピックスタジアムでは、5万人の観衆がランナーの到着を今や遅しと待ちかまえています。なお、この放送は、実況はわたくしうえだ、解説は聖火リレー評論家の猪熊虎五郎さんでお送りします。猪熊さん、いろいろなトラブルのあった聖火リレーですが、いよいよ今日がゴールですね。
「はい、長い道のりでした」
ランナーが到着するには、まだ時間があるようです。ではここで、リレー開始からの足跡を振り返ってみましょう。このリレーは、東日本チーム・西日本太平洋側チーム・西日本日本海側チームの3組に別れてそれぞれ長野を目指していたわけですが、ここに至るまでの道のりは決して平坦なものではありませんでした。
「そうですねえ」
まず最初のトラブルは、西日本太平洋側チームで発生しました。聖火トーチを持ったランナーが、突然コース沿いの家に放火しはじめたのです。折からの風にあおられて火は瞬く間に燃え広がり、8棟を全焼するという大火になりました。死者が出なかったのが不幸中の幸いです。
「あのランナーは突然発狂でもしたんでしょうかね?」
あの、猪熊さん、生放送なので言葉使いには注意していただきたいと……。
「あ、それは失礼」
次のトラブルは、東日本チームでした。アイスホッケー部の選手が聖火リレー中に女性をカラオケボックスに連れ込み、乱暴をはたらいた、というものでした。
「そもそもアイスホッケー部のヤツなんかを選んだのが間違いでしたね。噂によるとこの男、あろうことか神聖なるトーチを使ってその女性の……」
あの、猪熊さん、くり返しますが生放送なので……。
「何を言う! あなたに襲われた者の気持ちがわかってたまりますか! しくしくしくしく……」
……。
「……失礼しました。過去のトラウマに触れてしまったせいか、つい興奮してしまいました」
……えー、では、話を続けます。次は西日本日本海側チームですが、ここでは聖火ランナーが手配中の連続殺人犯だったことがわかったんでしたね。
「ええ、テレビに映ったのをたまたま刑事が見ていたせいですが、実に不運というか幸運というか……」
刑事はすぐに駆け付けたんですが、トーチを次のランナーに渡すまでは逮捕を待つ、という温情を見せてくれました。
「実に感動的なシーンでしたね。ランナーの腕に手錠がかかるとき、沿道の観客も思わず涙してましたから」
その後もランナーが日本アルプスの山中で遭難し、3日後に救出される、という騒ぎもありました。
「近道をしようと、日本アルプスを縦断しようとしたのがまずかったですね」
確かこの時は、聖火が消えてしまったため持っていたライターで火をつけ直したのではないか、という疑惑が持ち上がりましたが、結局うやむやのうちに終わってしまいました。
「疑惑の縦断、というやつですね」
……えー、その他にもさまざまなトラブルがありました。聖火リレーの途中に結婚式を挙げたカップル、怪盗白銀仮面から届いた『トーチを盗む』という予告状、トーチに隠されたマイクロフィルムを狙う東側スパイの暗躍、
双子のランナーによる二人一役トリック、聖火が出す二酸化炭素がオゾンを破壊するという環境保護団体の抗議……。
おっと、そうこう言っているうちに、どうやらランナーたちがスタジアムに到着した模様です。聖火リレーのアンカーは、東日本チームが田中選手、西日本太平洋側チームが佐藤選手、西日本日本海側チームが鈴木選手、いずれ劣らぬ俊足ぞろいです。きた、入ってきました! なんと、3人ほとんど横一線です。観客席からは歓声があがっています。さあ、はたして見事このレースに勝利し、栄冠を勝ち取るのは誰か? 3人のランナーはトラックの周回に入りました。勝負の行方は、いまだ混沌としています。
「いやあ、近来まれにみる名レースですね。誰が優勝してもおかしくありません」
3人は相変わらずデッドヒートを繰り広げて……おおっと、転倒だ! 田中選手が転倒しました。……気のせいか、佐藤選手が足を引っかけたように見えましたが。
「ええ、確かに引っかけています。いけませんねえ、こういうのは」
田中選手、立上がりました。ものすごい形相であとの2人を追いかけています。これは速い。そのまま勢いをつけて、佐藤選手に飛び蹴りだ! いやしかし、佐藤選手よけました。この飛び蹴りが、もろに鈴木選手の背中に命中です! たちまち、3人の乱闘が始まりました。スタジアムは騒然としています。
「面白く……いや、大変な事態ですね」
佐藤選手、トーチを大きく振り上げています。それを力まかせに、鈴木選手の頭に振り下ろしました。鈴木選手、倒れる! ものすごい出血です。手足がけいれんしています。大丈夫でしょうか?
「大丈夫じゃないでしょう」
佐藤選手、一仕事終えた開放感からか、ポケットから取り出したタバコに火をつけました。
「いけませんねえ、スタジアムは禁煙ですよ」
そこへ田中選手が……おっと、隠していたポリタンクを取り出しました。あの中身は……ひょっとしてガソリンか?
「どこへ隠してたんでしょうねえ」
油断している佐藤選手、田中選手に気付いていません。田中選手がガソリンを佐藤選手にぶっかけました! 佐藤選手、たちまち炎に包まれます! これはすごい、鈴木選手は血だるま、佐藤選手は火だるまです!
「対抗上、田中選手には雪だるまになってほしいものですねえ」
佐藤選手、炎の中で苦しみながらも、ポケットから何かを取り出しました。おっと、バタフライナイフです。ナイフを握りしめて、田中選手の方へ走っていきます。心臓を一突き! 田中選手倒れました。おそらく即死でしょう。佐藤選手、よろめく足で、一歩一歩聖火台の方へ近づいていきます。まだ勝利への執念は捨てていません。実に感動的なシーンです。観客席からも、拍手があがっています。がんばれ佐藤選手、聖火台はもうすぐそこだ!
「でも佐藤選手、トーチを持ってませんねえ」
ついに聖火台へ到着しました! しかしどうやら、トーチを忘れてきたことに気付いたようです。取りに戻るだけの体力は残されていないでしょう。おっと、佐藤選手、聖火台に手をかけました。そして……炎につつまれたまま、聖火台の中へ飛び込んだ! 聖火がともされました! 大きく燃え上がっています! 佐藤選手、自らを犠牲にして開会式に花を添えてくれました! 西日本太平洋側チームの優勝です! やりました佐藤選手、ありがとう佐藤選手!
「国民栄誉賞でも貰えるんじゃないですかねえ」
それではこの辺で、長野オリンピックスタジアムからお別れします。なお、放送中に不適切な表現があったことをお詫びします。
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