第198回   死刑台のエスカレーター  1998.8.6





 そういう場面に出くわすとは、考えたことさえ無かった。
 ……という書き出しはもう飽きたと言われるかもしれないが、本当に出くわしてしまったものは仕方がない。しばらくの間、おつきあい願いたい。

 それは私が秘密指令に従って東京へやってきた朝のことだ。電車を乗り換えるため、秋葉原駅の長いエスカレーターに乗ったとき、その事件は起こった。

 ……いや、この書き方は良くないな。やはり、東京に来たからには東京言葉を使わなければならない。大丈夫、大阪を発つときにちゃんと勉強をしてきたから、東京言葉なんてさ、お手の物だよ。オイラがE電を乗り換えるために、ハバラの長いエスカレーターに乗ったと思いねえ。……え? なに言ってやがる、アキハバラなんて長ったらしい名前をいちいち言ってられるかってんだ、てやんでえべらぼうめ。江戸っ子はな、ハバラって略すんだよ。ちなみにハバラにたむろする若者のことをハバラーって呼ぶんだ。ハバロフスクの若者のことじゃねえぞ、よっく覚えておきな。

 ……ううむ、やっぱり疲れるから元に戻そう。
 とにかく、エスカレーターに乗ったときのことである。立ち止まっていると、しきりに私のお尻を押す者がいる。ひょっとして、これがうわさに聞く痴漢というやつか? きゃっ、初体験だわ、いやんいやん。などと思って振り返ると、そこにいるのは残念ながら若い女性ではなく中年のおっさんである。その中年のおっさんが私をにらみつけている。いや、一人だけではなかった。そのおっさんの後ろにずらりと並んだ人、人、人。それら老若男女すべてが、私の方をにらんでいるのだ。
 な、な、なんだその視線は。この世に生を受けて三十余年、悪いことなど一切していない品行方正な人間だぞ、私は。なぜあなたたちからにらまれなければならないのだ。私が何をしたというのだ。私の命もこれまでか。ふられ続けて三十年、ついに恋愛経験ゼロのまま息絶えるのか。嗚呼、この世には神も仏もないものか。
 目の前が暗くなった。貧血か。小さな貧血大きなお世話である。無理矢理ダジャレを入れるなって。などと、表面では平静を装いつつも内心は大いにうろたえていると、たまたま通りかかった町の古老が教えてくれた。
「これこれ、若いの、エスカレーターで立ち止まるときは、左側に寄らねばならぬのだぞ。右側は歩く者のために開けておかねばならんのじゃ」
「え? そ、そうなんですか?」
「そう、それがこの町の掟じゃ。よく覚えておきなされ、ほっほっほ」
 なるほど。確かに、私が立っていたのは右側である。私はあわてて左側へ移動した。そんな私を横目でにらみながら、右側を人々が歩いていく。さすがは東京、恐ろしい町である。

 それにしても、私は無意識のうちに右側に立ってしまったわけだが、これはなぜだろう。と考えること1ミリ秒、簡単に答にたどりついて私ははたと膝を打った。いや、もちろんこれは言葉のあやである。歩きながら向こうずねをぶつけるのは容易だが膝を打つのは難しい。
 答、私が大阪人だからである。大阪ではエスカレーターに乗るときは右側に立つのだ。その証拠に、阪急梅田駅のエスカレーターでも「お急ぎの方のために左側をお開けください」とアナウンスされている。立ち止まるときは右側、歩くときは左側。これが日本の常識だと思っていたが、どうやら違ったようだ。まさに、ところ変われば品川区である。……え? ハバラは品川区じゃないって?

 とりあえず、大阪と東京の違いは理解した。すると次に気になるのは、他の都市ではどうなっているのか、という点である。やはり、西日本と東日本で逆になっているのであろうか。境界はどこだろう。電気の周波数の違いに従うのか、うどんのダシの違いに従うのか、それともフォッサマグナが境界線になっているのか。これは重大な問題だ。調査する必要があるだろう。
 あるいは、明確な境界線など存在せず、ゆるやかに移行しているのかもしれない。中間点は名古屋あたりであろうか。すると、名古屋人のエスカレーターの乗り方は、というと、右でも左でもなく、真ん中に堂々と立ちはだかっているのかもしれない。そう考えて知り合いの名古屋人に聞いてみると、ふふふ、と笑ってこう答えた。
「真ん中に立っても邪魔にゃあならんて。なにしろ、名古屋のエスカレーターは幅が百メートルあるぎゃあ」
 ううむ、あまり考えたくはない話である。




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