第208回   首をギュッとね!  1998.9.15





 大学の医学部における解剖実習といえば危険なギャグの宝庫であって真実とも伝説ともつかぬ逸話には事欠かぬものであり比較的人口に膾炙されている例としては死体の耳を切り取って壁に貼り付け「壁に耳あり」などとつぶやいた後発狂してしまった学生の話があるがこれなどはまだ生やさしい方で耳に対抗するのはやはり目だろうと考えて死体の両眼球を摘出してみたもののあいにく解剖実習室には障子がないため仕方なくその眼球を指の間に挟んで「さあこの目玉が三つに増えます」などと手品のまねごとをしてみたが当然ながら死体から摘出したばかりの眼球にはトリックを仕込む余地もなく「ほら増やして見ろ」と他の学生に詰め寄られたあげくその学生は皆に背を向けるとなにやらごそごそしていたかと思うとやおら振り向いて「これでどうだ」と手を広げてみせるとそこには紛れもなく三つの眼球が挟まっており一体どういうトリックを使ったのかと皆が驚いてその学生の顔を見ると片方の眼窩は黒い空洞でそこからは血が滴り落ちていて皆が驚愕するのを尻目に赤く染まった凄惨な顔でニヤリと笑って解剖実習室を後にしたその学生の姿をその後見た者は誰もいないという話なども伝わっているがそこまでひどくはなくとも死体の腕を切り取って「おおこれぞ渡辺綱に切り落とされた我が腕」などと茨木童子ごっこをする歴史マニアや男女の死体を張り合わせて「あしゅら男爵」などと言ったり切り落とした首を小脇に抱え「ブロッケン伯爵」などと言ったりするアニメマニアの逸話も耳にしたことがある。

 で、その首の話であるが、人間というものは首を切断された瞬間に絶命するかと思いきやさにあらず、脳への血液の供給が止まるまでの数十秒から数分間は生きているらしい。現に、ギロチンに掛けられて斬首された死刑囚の首に話しかけてみたところ目や口を動かしたりして反応を示したという話もある。
 また、すでにいつどこで読んだのかも忘れてしまったが、江戸時代のこんな話もあった。

 ある武家に仕える使用人が、不始末をしでかして主人に手討ちされることになった。
 後ろ手に縛られて庭に引きずり出され、まさに首を切られようかという時に、その使用人は主人に対して恨み言を吐く。
「この恨みは決して忘れない。死んだ後は怨霊となり、この家を祟ってやる」
 だがしかし、その主人は剛胆にも言い返す。
「馬鹿な。怨霊とか幽霊とかいうものなど、この世には存在しない。存在しないものが祟れるわけがなかろう」
「いや、この私の怨念は何よりも強い。必ず祟ってやる」
「ほう、ならば証拠を見せろ。それほど怨念が強いというのなら、首を切られた後、その庭石に囓り付いてみせろ。そうすれば信じてやる」
「よし。私の怨念の強さを見せてやる」
 程なくその使用人は斬首され絶命した。
 そして、最後の言葉どおりその切断された首はやにわに目をかっと見開いたかと思うと、二三尺も宙を飛んで庭石の一つに歯を立てて囓り付いた。しばらくして力尽きたのか庭石から転げ落ち、今度こそ本当に絶命した。
 その光景を見て心底震え上がった家人が主人に、
「なんと恐ろしいことでしょう。我が家は本当に祟られてしまいます」
 と言ったが、その主人は笑ってこう答えたという。
「なに、心配はいらない。この家を祟ってやるというあの男の執念は、最後になって庭石に囓り付いてみせるという執念にすり替わったのだ。もう、この家を祟るほどの執念は残っていないさ」

 首を切る方の話はこれくらいにしておいて、首を絞める話である。
 首を絞めて殺すことを一般的に絞殺というが、本来の意味からすれば絞殺とは「紐等を使用して首を絞める」場合のみを指す。素手で絞める場合は扼殺というのが正しい。なお、最近は科学捜査の進歩により、被害者の首からも指紋が検出できるので扼殺は控えた方が賢明だろう。
 絞めるといえば、死刑の方法の一つに絞首刑というものがある。開くような仕掛けのある床の上に死刑囚を立たせ、その首に縄を掛けておく。床を開くと死刑囚は下の穴に落ち、首に縄が掛かって絶命する、という趣向だ。もっとも、この場合は縄は首を絞めているのではなく単に首に掛かっているだけであり、死因も窒息死より頸椎骨折の場合が多いというから「絞首」刑という呼び方は正確ではないだろう。あえて呼ぶなら吊首刑か。
 吊るといえば、自殺の方法に首吊りがあるが、この呼び名も首に縄を掛けて死ぬ場合にのみ用いるべきだろう。投げ縄のように縄が絞まる仕掛けをしておいて自殺する場合は、首縊りと呼ぶのが正しい。首縊りでも首吊りでも大した違いはないじゃないか、というなかれ。首縊りといえば病院坂の家でするものだし、首吊りといえば村で一番の木でするものと昔から相場が決まっている。ちなみに人を喰うのは暗闇坂の木だが、これは首とは関係ない。

 首といえば、ろくろ首である。
 昔読んだ誰かの小説に、ろくろ首を絞首刑にしようとする話があった。ところがもちろん、ろくろ首は首が伸びるので普通の絞首台では死刑にできない。高いビルを使ってみてもまだ首の方が長い。最後にはヘリコプターまで持ち出す騒ぎになる、という話だが、これを読んで疑問に思ったことがある。
 その疑問というのは、ろくろ首は妖怪でありはたして人間の法律で裁けるのか、ということではなくて、ろくろ首の首はどこまで伸びるのか、ということである。質量保存の法則に従えば、首は伸びた分だけ細くなるはずであり、無限に伸びるというわけにはいかないだろう。どこかに限界があるはずだと思って古今東西の文献を漁ってみたが、水木しげる氏の著書に答が載っていた。ろくろ首は、別名ぬけ首ともいう。つまり、どんどん細くなっていって、最後には体から抜けてしまうのだ。さらに、このぬけ首には弱点があって、首が抜けている間に体の方を隠してしまうと体を見つけられずに次第に弱って死んでしまうらしい。首だけでは栄養補給もできないのだから、これは当然だろう。
 だとすれば、ろくろ首を死刑にするのにヘリコプターなど持ち出す必要はない。首が抜けているときに体を隠してしまうだけでいいのだ。そうすれば、ろくろ首を殺すのは、赤子の首をひねるより簡単なことである。




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