第212回   コロンブスの卵焼き  1998.10.7





 それはさておき、問題なのはコロンブスだ。
 といっても、ロックシンガーのコロンブスやミステリ作家のコロンブスや超能力者のコロンブスのことではない。下北沢で鮮魚店を営むコロンブス籐兵衛さんのことでもない。アメリカ大陸を「発見」したとされているコロンブスのことである。

 コロンブスは、1492年にアメリカ大陸を「発見」した。まず、この年代が作為的である。わざわざ「いよ、国が見えた」などという語呂合わせをしたいがために年代を合わせた疑いが強い。あまりにも姑息である。
 しかしまあ、姑息とはいえ、このあたりは大して実害がないから見逃してやってもよい。問題なのは、この「発見」という言葉だ。「発見」という言葉を辞書で引いてみると、「まだ知られていなかったもの(・こと)を、はじめて見つけ出すこと」と書いてある。では、コロンブスの「アメリカ大陸の発見」が「発見」と呼ばれるべきものかというと、これは違う。なぜなら、コロンブスが到着する前にもアメリカ大陸には人が住んでいたからだ。北アメリカにはエスキモーやアメリカインディアン、南アメリカにはインディオ、ナスカ高原には宇宙人まで住んでいた。自分が住んでいる土地を発見していない、などということはありえないので、アメリカ大陸を発見したのはコロンブスだ、という主張は間違っている。せいぜい、西欧人では初めて発見した、というところか。
 と思ったら、西欧人の中でさえ初めてではなかった。アメリカ大陸からは、コロンブスが辿り着く数百年も前にバイキングたちが辿り着いた痕跡が見つかっているのだ。さすがはバイキング、火星まで行って人面岩の写真を撮ってきただけのことはある。
 というわけなので、今後は「1492年、コロンブスはアメリカ大陸に到達した」と書きなさい。まあ、ちょっとは譲歩して「あなたはアメリカ大陸に到達した百万人目のお客様です! 記念品をどうぞ!」程度の主張は許してあげよう。
 実を言うと、この「発見」問題は、すでに大勢に認められつつある。最近は教科書などでも「発見」が「到達」に変更されているのだ。お手持ちの教科書を確認していただきたい。「アメリカ大陸に到達した」と書いてあるはずだ。……なに、書いてない? いかんいかん、そんな教科書はすぐに捨てて街へ出なさい。私の教科書にはちゃんと、イザナギイザナミの国産みに始まって神武東征から朝鮮征伐、大陸進出を経て鬼畜米英に勝利し大東亜共栄圏を築き上げるまでの歴史がきちんと記されている。うむ、やはり教科書はこうでなくっちゃ。

 話がそれた。コロンブスに戻ろう。
 コロンブスといえば有名なのは、コロンブスと卵の問題である。といっても、コロンブスが先か卵が先か、という問題ではない。この問題は進化論により「卵が先」ということで決着がついている。コロンブスが卵を立てた方の問題である。
 人類の歴史を振り返ってみると、なぜか「何かを立てた」という逸話が多い。たとえば、ニュートンはリンゴの木を立てたと言われているし、ガリレオはピサの斜塔を立てたと言われている。大阪城を立てたのは大工さんだし、アルキメデスは風呂の中でアレを立て……あ、いやいや、コロンブスの話だった。コロンブスが卵を立てた話、それはこんな話だ。

「コロンブスはん、やめときなはれ。無駄なことでっせ」
「無駄とちゃうがな。この海をずーっと西へ航海していけば、インドに辿り着くんやって。だって地球は丸いんだもん♪」
「アホなこと言いないな。地球が丸かったら、裏側にいる人はみんな落ちてしまうやないか。ええか、この海をずーっと進んでいくとやな、海が滝になって流れ落ちとるんや。ほんで、この大地は三頭の巨大な象の上に乗っとって、さらに象はもっと巨大な亀の上に乗っとるんやで」
「ううむ、どう言うたら信じるんやろなあ。……よっしゃ、ここに取り出しましたる一個の卵、種も仕掛けもありません」
「おっ、なんやなんや、手品でも始まるんかいな。おおい、みんな寄って来いや」
「さてお集まりの紳士淑女の皆様、あなた方は、この卵を立てることができるでしょうか?」
「立てる? 無茶言うなや。そんな転がりやすいもん、立つわけあらへんやろ」
「ところが、さあお立ち会い、卵の殻をテーブルにぶつけてちょいと割れば、ごらんのとおり卵が立ちます!」
「あっ、ほんまや、立った立った」
「そう、一見立ちそうにない卵でも、こうやって立てることができるのです。卵は立たないものだ、という常識は、西へ航海してもインドには辿り着かないものだ、という常識のことです。ところが、私は見事卵を立てることができました。すなわち、私ならインドへ辿り着けるのです。さあ、皆様も常識の殻を破ってみませんか?」
「うっうっ、コロンブスはん、ええこと言うなあ。まさにそのとおりや」
「わては一生、あんたについていきまっせ!」
「さあ、あの夕陽に向かって走るんだ!」

 なかなか感動的な話であるが、だまされてはいけない。コロンブスのやっているのはインチキなのだ。
 そもそもこの卵立てのルールは、平たいテーブルの上に丸い卵を立てる、というものである。それをあろうことか、卵を変形させてしまうとはとんでもない反則である。ルールを守らずにすむのなら、どんな不可能も可能なってしまうだろう。横浜ベイスターズの佐々木投手のフォークをホームランしてみろと言われて、ボールがキャッチャーのミットにおさまってから奪い取りそのボールを持ってバックネット前まで駆けていきスタンドに投げ入れるようなものだ。羽生名人に将棋で勝ってみろと言われて、相手の王将を手づかみで奪い取って庭に投げ捨てるようなものだ。日記猿人で得票数トップを取ってみろと言われて、あ、いやいや、まあそれはそれとしてとにかくルール違反である。
 平たいテーブルの上に丸い卵を立てる、というルールを守らなくていいのなら、方法はいくらでもある。テーブルに穴をあけて卵を立ててもいいし、転がった卵を指さして「この状態を立っていると定義する」と主張してもいい。卵を食べてしまって「僕たちの心の中では卵はずっと立っているんだ」と述懐してもいいし、このように卵焼きを作って立てても……ううむ、これは難しい。かなり立てにくいぞ。ぷるぷるしてて、ほら、すぐに倒れてしまう。
 ……よし、決めた。今後はこのエピソードは、コロンブスの卵焼きと呼ぶことにしよう。わかったな、コロンブスよ。




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