第217回   ロシアン・ジョーク  1998.10.25





 シベリアの強制収容所にて。
「きみは、どうしてここにいるんだい?」
「1939年に同志ポポフの悪口を言ったからさ。で、きみは?」
「ぼくは1943年に同志ポポフを誉めたからだよ」
 二人はもう一人の囚人に問いかけた。
「きみは?」
「私はポポフだ」

 これは、まだソビエト連邦が存在していたころに語られていたジョークである。
 このジョークは古典的な名作で、「ポポフ」の部分は、時代と場所によって、ゴムルカだったりノヴォトニーだったりフルシチョフだったり、さまざまに変えて語られてきた。
 もちろん、当時はこのようなジョークをおおっぴらに喋ることはできなかった。酒場の片隅で、大学のトイレで、夫婦の寝室で、ミールの中でひっそりと語られていたのだ。ギャグという言葉には猿ぐつわや言論弾圧という意味もあるように、ジョークを喋るのも命がけだったのである。その例として、こんな古典的名作もある。

 ある男が赤の広場で、「スターリンの大馬鹿野郎!」と叫んでいた。
 さっそく秘密警察に逮捕され、強制収容所送りになる。刑期は二十五年。その内訳は……
 国家元首侮辱罪で五年。国家機密漏洩罪で二十年。

 アメリカン・ジョークというものがあり、ロシアン・ジョークというものがある。ロシアン・ジョークは毒があり、自虐的で、命と引き替えに語られたものだ。だからこそ、面白い。

 ソ連のラジオ放送は三つのカテゴリーに別れている。すなわち、「真実」「たぶん真実」および「真実でないもの」である。
 第一のカテゴリーは時報、第二は天気予報、そして第三カテゴリーには他のすべてが含まれる。

 1937年、ロシアの偉大な詩人アレクサンデル・プーシキンの死後百周年を記念して、ソ連政府はプーシキン記念像のコンクールを公布した。様々なアイデアが殺到した。
 厳正な選考の結果、次の三つの作品が佳作となった。
「コーカサスの頂きに立ち、はるか彼方を眺めるプーシキン」
「決闘の敵手の弾丸を胸に受け、まさに倒れんとするプーシキン」
「ミューズの手から月桂冠を戴くプーシキン」
 だが、一等賞を獲得したのはこんな作品だった。
「プーシキンを読むスターリン」

 監獄で三人の囚人が話していた。
「おれはサボタージュのかどで逮捕されたんだ。工場に五分遅刻したもんで」
「そうか。おれは反対に五分早く出勤したために逮捕されちまった。スパイ容疑で」
「おれなんか、時間きっかりに職場に着いたんで逮捕されたんだぞ。西側の時計を持っているという容疑で」

 フルシチョフの没落。
「クズモヴィッチ、どうして党を除名になったんだ?」
「フルシチョフの引き下ろしに協力しなかったからだとさ」
「だけど、きみはそんなに大物じゃないだろう?」
「ある日、党の書記がおれの部屋にやってきて、『そのごろつきの写真を壁から降ろすんだ』って言ったんだ。で、おれはつい、こう尋ねてしまってね。『どの?』」

 さらには、短編ミステリとしても成立しそうな、こんなジョークもある。

 工場の財産を労働者たちがくすねるのを防ぐために、門では守衛が見張っている。その守衛が、手押し車に袋を乗せて通り過ぎようとするイワンに目を付けた。
「袋の中はなんだ? イワン」
「おがくずでさ。こいつをうちでたき付けにするのを監督さんが許可してくれたんだ」
 しかし、守衛はイワンの言葉を信用しない。
「開けるんだ!」
 袋の中味がぶちまけられる。本当におがくずしか入っていない。
 次の日も同じ場面が繰り返される。
「今度はだまされないぞ。開けろ!」
 イワンは袋を開ける。やはり、おがくず以外なにもない。三日目、四日目と、同じことが繰り返される。
 七日目、ついに守衛は根負けしてしまった。
「なあイワン、お前が何かくすねてるってことはわかってるんだ。だけど、もうおれは検査しないよ。おれは見て見ぬふりをする。誰にも言わない。だから、こっそり教えてくれ。いったい何をくすねてるんだ?」
「手押し車」

 だが、今やそのソビエト連邦も崩壊し、これらのジョークもおおっぴらに語ることができるようになった。それはそれで喜ばしいことだが、身の危険と引き替えに語るがゆえの面白さがなくなってしまったのは少し残念でもある。
 すると、あと残っているのは北朝鮮くらいだろうか。

「となりの空き地に囲いができたってねえ」
「それは北朝鮮だってば」

 現代の日本に生まれた我々は幸せである。身の危険を感じながらジョークを語る、などという経験はせずにすむのだから。たとえば、私がいくら皇室をネタにしたジョークを喋ったところで、まったく身の危険など……うっ、な、なにやつ! ……ぐふっ。




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