第216回   すべてのネタに懺悔しな  1998.10.22





 東京には空がないと言ったのは智恵子で、地下鉄はどこから入れるんでしょうと言ったのは春日三球だが、その言葉どおり東京の地下鉄というものはややこしい。
 大阪の地下鉄と比べてみればいい。東京の地下鉄十二路線に対し大阪の地下鉄は七路線でありややこしさに遜色はないはずだが、大阪の地下鉄の方がはるかにわかりやすいのだ。なぜかといえば、大阪の地下鉄は基本的に東西南北に走っているからだ。南北に走っているのが四ツ橋線・御堂筋線・堺筋線・谷町線の四本。東西に走っているのが中央線・長堀鶴見緑地線・千日前線の三本。特に中心部ではこれらの四本と三本がきれいに格子状に交差していて非常にわかりやすい。
 これに対して東京はどうか。路線は東西南北ではなく、斜めに走ったり蛇行したり迂回したりループしたり複雑な軌跡を描いている。東西線や南北線という名前の路線もあるが、こんな名前を付けるのは詐欺のようなものだ。なぜこのような複雑怪奇な路線になったのかというと、千代田区のど真ん中に巨大な結界があり、地下鉄や高速道路、航空機でさえその結界を迂回せざるを得ないからだが、この問題を解決するためには……ああっすまぬ、またこの手のネタになってしまった。この件については深く追求しないでおこう。
 さて、ここで問題である。東京と大阪の地下鉄には同じ名前の駅が存在するが、その駅名を答えよ。ただし、日本橋は、東京では「にほんばし」、大阪では「にっぽんばし」と読むので別の名前である。
 解答を考えているうちに次の話題に行く。

 長い駅名は略して呼ばれることが多いが、この略し方も東京と大阪で違いがある。まずは大阪だが、天神橋筋六丁目を「てんろく」、谷町九丁目を「たにきゅう」、千里中央を「せんちゅう」、天下茶屋を「てんちゃ」など、頭の一文字と中間の一文字を使う場合が多い。これに対して東京では、駅名の後半部を使う。新宿が「ジュク」、池袋が「ブクロ」、六本木が「ポンギ」、吉祥寺が「ジョージ」、秋葉原が「ハバラ」、高田馬場が「ダノババ」、銀座が「ザ」などである。
 書いていて気づいたのだが、大阪の場合はひらがな、東京の場合はカタカナで書いた方がしっくりくるのはなぜだろうか。このあたりに大阪と東京の文化の違いの本質がひそんでいるような気がするので詳しく考察して……みようと思ったが、私にはそんな知恵も力も勇気も愛もないのだ。すまぬ。次の話題に行こう。

 私が先日、ミッスでコーヒーを飲んでいた時のことである。
 え? ミッスとは何か、だって?
 ミッスはミッスだ。ミスタードーナツの略称である。ファーストフードの店名の略称も大阪と東京では違い、たとえばミスタードーナツは大阪ではミスド、東京ではミッスと略される。東京人でこれを知らないのは恥ずかしいぞ。
 まあ、それはともかく。
 そのミッスの店内が何やら騒がしかったのだ。なんだろう、と思って見てみると、モバイルコンピュータを持った三十前後の男性が酔っぱらいのおじさんにからまれているではないか。巻き込まれては面倒だ、と思って知らんぷりをしていたのだが、その時、隣りに座っているショッキングピンクのルーズソックスをはいた女子高生の二人組の会話が聞くともなしに耳に入ってきた。なんでも、その二人は浦和から来たらしい。
 そう、問題はその浦和である。浦和近辺には似たような駅名が多くて混乱するのだ。まず、浦和がある。これは問題ない。北浦和と南浦和と東浦和と西浦和がある。なんだか早口言葉のようだが、この辺まではまあ許そう。しかし、さらに大和浦和と武蔵浦和がある。上浦和と中浦和と下浦和がある。新浦和と旧浦和がある。表浦和と裏浦和がある。山本リンダがねらい撃ちでもしそうな駅名だ。もう少しオリジナリティーのある駅名はつけられないものだろうか。まったく、東京も困ったところである。
 ……え? 浦和は東京じゃなくて埼玉だって? そ、それは失礼しました。次の話題に行こう。

 埼玉で思い出したのだが、東京都と埼玉県の間には深くて暗い川がある。物理的な川ではなく心理的な川でもなく、いや、心理も関係するのだが、金銭的な川だ。何かというと、家賃の話である。
 賃貸住宅の家賃は、東京から埼玉に移った途端に急激に降下する。たとえ道路一本隔てただけであろうとも、そこには歴然とした格差が存在するのだ。住所が「東京都」となるのと「埼玉県」となるのとで、それほど差があるのだろうか。興味深い話である。
 ともあれ、家賃をグラフ化してみると、東京と埼玉の境界で微分不可能な特異点が出現するのだ。そしてその特異点は、境界上を一本の線となって伸びている。数学に強い人なら、この事実から何かを連想するだろう。そう、カタストロフィー理論である。東京と埼玉の間にある特異点の列、これは非常に不気味である。この特異点が原因で、なにやら恐ろしいことが起きるような気がしてならない。いや、ひょっとしたら既に起こっているのかもしれない。
 ……す、すまぬ、別に埼玉を馬鹿にする気はないのだ。とやかく言われてはいるが、それでも埼玉は存在するだけマシである。なにしろ、埼玉の向こうには何も存在しない。海が滝となって虚空に流れ落ちているだけなのだから。大阪人の認識とは、その程度のものである。




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