第215回 カレー史彼女の事情 1998.10.18
大阪人の主食はカレーライスだ、というのはすでに有名な話である。
信じられない人は、大阪の街を歩いてみればよい。犬も歩けばカレー屋に当たる、ということわざもあるくらいで、周りを見回せばかならずカレー屋の黄色い看板が目に入るし、道を行く人々は「カレー食ってまっか?」「ぼちぼちでんなあ」というあいさつを交わしている。街頭インタビューをおこなえば「三度の飯よりカレーが好き」「食前食後にカレーライス」「カレーは入るところが別なの」といった答が返ってくる。なにより、内閣調査室の統計によれば、日本のカレー屋の63%は大阪府内に集中している、というのだ。
では、なぜ大阪でこれほどカレーが食べられているのか。そこには、ちゃんと理由がある。単に旨いとか早いとか安いとかいうだけではないのだ。
まず、カレーには栄養がある。種々の肉・野菜・スパイスが使用されたカレーはすべての栄養素が含まれた完全食品であり、カレーさえ食ってりゃ人間は生きていけるのだ。かつてマリー・アントワネットが「パンがなければカレーを食べればいいじゃない」という言葉を残したことからもわかるように、人はパンのみでは生きられないがカレーのみなら生きていけるのである。
この事実に注目したのが、あのクラーク博士である。クラーク博士は1876年(明治9年)に来日し、札幌農学校にて「少年よ、少女を抱け」という名言を残したが、この博士が日本の学生たちの貧弱な身体に驚き、「生徒は米飯を食べるべからず。ただし、らいすかれいはこの限りにあらず」という規則を作った。つまり、カレーは日本人の体格向上に利用されたわけで、明治以降の富国強兵政策の中でも重要な位置を占めていたのだ。日清戦争・日露戦争に勝利できたのもカレーライスのおかげだと言えよう。
また、第二次世界大戦でもカレーライスは活躍した。敵国の食べ物だということでほとんどの洋食は食卓から姿を消したが、栄養豊富なカレーだけは例外だった。軍用食品としてのカレー粉の製造は続けられていたのだ。もっとも、「カレーライス」は敵国語のため、「辛味入汁掛飯」と呼ばれていたが。
しかし結局、カレーのご加護もなく第二次世界大戦は日本の敗戦で終わってしまうのだが、これはおそらく敵国のアメリカ人もカレーを食っていたからだろう。これは教訓である。次の戦争は、カレーを食う習慣のない国を相手にするべきであろう。
え? その説明は日本でカレーが食べられている理由であって、大阪でカレーが食べられている理由ではない、だって?
そのとおり。あわてないでほしい。大阪とカレーの関係は、これから説明する。
そもそもカレーが初めて食堂のメニューに登場したのは、1886年(明治19年)のことだ。東京は風月堂がその嚆矢である(風月堂の「風」は正しくはかぜがまえに百)。当時、もりそばが一銭の時代だったが、カレーライスは八銭と高価だった。つまり、カレーは昔は高級料理だったのだ。この高級料理を大衆化し、一般庶民が気楽に食べられるようにしたのが、かの有名な阪急東宝グループの創始者、小林一三である。
小林一三は私鉄経営・百貨店・映画演劇と数々の分野で成功した立志伝中の人物だが、私鉄経営の手始めは大阪〜宝塚間の箕面有馬電気軌道、現在の阪急電車で、1910年(明治43年)開業である。ところが、当時の宝塚といえば田舎もいいところで、この鉄道にはいっこうに客が集まらない。実際、開業当時は「ガラ空きで涼しい電車」などという破れかぶれのような宣伝文句を使ったという逸話もある。この鉄道に乗客を集めるために小林が思いついたのが宝塚歌劇で、目論見は見事に成功してこの鉄道は歌劇を見ようという人々でにぎわい、路線も拡張して現在の阪急電車に至るわけだが、その阪急電車の起点である梅田駅に阪急百貨店が建設されたのが1928年(昭和3年)、これがいわゆるターミナルデパートのはしりである。
当時デパートといえば三越・高島屋・大丸などが有名だったが、いずれも元々は呉服屋であったため、どうしても高級店というイメージがあった。これらの老舗に対抗するため、小林は思い切った大衆路線を取ったのだ。その一例が大食堂で、手頃な値段で豊富なメニューを取り揃え一般庶民の来店を促した、ということである。
この大食堂の目玉がカレーライスであり、他の一品料理類が三十銭だった時代にカレーライスは十銭だった。かつて「貧乏人はカレーを食え」と放言して物議をかもした首相がいたが、まさにこの阪急百貨店の大食堂のおかげでカレーライスが一般庶民の間に普及したのであり、その起点は大阪だった、ということである。
だから、大阪人の集合的無意識の中にはカレーの記憶が染みついている。東京へ行こうがアメリカへ行こうが、ついついカレー屋を探してしまう。三日もカレーを食わなければ禁断症状があらわれるのだ。現にこの私も、東京へ来てからどうも体調がすぐれない。カレーを食っていないからだ。
そんな私のことを心配してか、某友人がカレーパーティーの企画を持ってきた。もちろん、普通のカレーパーティーなら一も二もなく参加するのだが、闇鍋カレーと聞いてバケラッタ。いや、ためらった。何しろ、ウケるためなら命もかけると言われている大阪人のこと、今この時期に闇鍋カレーなどをおこなえば何を混入するかは火を見るより明らかだろう。このパーティーに参加すべきかどうか、まさにカレーは食いたし命は惜ししの心境である。
いくらカレーが好きとはいえ、死んでしまっては元も子もない。第一、死んだらもうカレーが食べられないではないか。与謝野晶子も言っているように、君死に給うことなカレー、なのである。
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