十津川警部は言った。だけでは、西村京太郎の著作だということはわかっても書名まで当てるのは至難の技である。いや、作者本人でさえ当てられないだろう。
「あなたが犯人です」
「リョーマ。君はどうやら、純粋な日本人じゃないようだな」なんだなんだ。幕末ものじゃないのか? なぜホームズとワトソンが出てくる? だいたい、時代考証はそれで合っているのか?
そう言ったホームズを、坂本龍馬は横目で軽くにらんだ。ホームズの後ろでは、ワトソンが微笑を浮かべている。
「……そうだ。よく解ったな」
「なに、顔つきも日本人離れしているし、なによりその体格だ。日本人には、それほど背が高い者はいない」なんだこれは。幕末ものなのかミステリなのかギャグなのか。む。このおじさんも、にやにや笑っているぞ。いかんいかん。目を合わさないようにしなければ。私はさりげなく顔を背けた。その顔の先には、さっきのタウンページ男がいる。はっ、今度はこの男、タウンページを頭に載せて踊り始めたぞ。いかんいかんいかん。目を合わさないようにしなければ。私は、さりげなく反対側に顔を背けた。
「……そのとおり。私の祖父はクルド人の漂流民だった。私には、異人の血が流れているのだ」
ホームズはパイプに火をつけながら静かに言う。
「なるほど。どうやらそれで謎が解けそうだ。そろそろ聞かせてくれないか? 君の家に伝わる子守歌を。それが、今回の事件の鍵なんだ」
「……そこまで知っているとは、つくづく恐ろしい人だな、ホームズ。いいだろう、聞かせよう。こんな歌だ。♪大きなのっぽのクルド系、おじいさんの家系〜」
……殺してやりたい。いきなり目に飛び込んできたのは、こんな一節である。どうやらミステリのようだ。
……私の心の中に殺意が沸き上がる。抑えようとしても抑えきれない殺意。いや、今となっては抑える気などない。私がそこまで読んだとき、その女性が顔を上げた。私の方を見て、にやにや笑っている。いかんいかん。目が合ってしまった。私はあわてて、体を後ろに向ける。そこにいたのは、男子高校生の二人組である。一人は日経流通新聞を、一人は『六十代からの性生活』を読みながら、ときおり顔を見合わせてにやにやしている。いかんいかん。目を合わせないようにしなければ。
殺してやる、あの男。
毎朝出会う、あの男。
通勤電車の、あの男。
毎日毎日、私の読んでいる本をのぞき込む男。本当に図々しい男だ。殺してやる。必ず殺してやる。
私がそう考えているとも知らず、その男は今朝も私の本をのぞき込む。
ほら、今ものぞき込んでいるのだ。