第261回   それでも超能力は実在する  1999.6.6





 超能力が実在することはすでに自明だというのに、世の中には未だに頑迷な超能力否定論者がいる。
 しかし、彼ら否定論者の論理は、いや論理と呼べるほどのものでない場合がほとんどだが、いいかげんで、杜撰で、反論にもなっていないのだ。自己の地位や矜持や面子を守ろうとするための否定、感情的反発による否定、否定のための否定ばかりである。

 たとえば。こんなことを言う輩がいる。
 超能力者としてテレビなどに出ているあの男、実際は超能力など持っていない。すべては単なるトリックであり、下手な手品に過ぎないのだ。その手口はこうこうである。これで、あの男が超能力者でないことが証明された。つまり、超能力者を標榜する奴らはすべてインチキなのである。
 これで何かを証明したつもりになっているのだから恐れ入る。一人の自称超能力者がインチキだということを証明したところで、超能力者全員がインチキだという証明にはならない。論理学の初歩から勉強し直した方がいいのではないか。
 考えてみてほしい。たとえば、一人の雑文書きが嘘つきだということを証明したところで、雑文書き全員が嘘つきだと……ああすまぬ、これはちょっと例が悪かった。たとえば、一人の結婚詐欺師が詐欺師だということを証明したところで、結婚詐欺師全員が詐欺師だという証明にはならない……ん? どこかおかしいような気もするが、とにかく、こんな杜撰な証明で超能力の存在は否定できないのである。

 たとえば。こんなことを言う輩がいる。
 超能力というものは、今の科学とは相容れない。そんなものの存在を認めれば、科学体系が崩壊してしまう。したがって、超能力など存在しない。
 これで何かを証明したつもりになっているのだから恐れ入る。事実と理論が食い違うとき、理論の方を優先させてどうなるというのだ。それでは、軍服のサイズが体に合わないときに、体の方を合わせろと言った旧日本軍と同じ論理ではないか。
 考えてみてほしい。たとえば、時計と実際の時刻が合わないときに、時計の方を合わせろと言うのか。って、それはそれでいいのか。ええと、たとえば、天気が天気予報と合わないときに、天気の方を合わせろと言うのか。パソコンとプリンターが合わないときに、パソコンの方を……って、この場合はどっちが事実でどっちが理論だ? まあそれはとにかく、旧日本軍が結局はアメリカに敗北したように、彼らも最終的には敗北するだろう。

 たとえば。こんなことを言う輩がいる。
 超能力などというものは存在しない。なぜなら、存在するならそれは超能力ではなく、ただの能力だからだ。
 これで何かを証明したつもりになっているのだから恐れ入る。単なる言葉の遊びに過ぎないし、そんな論理が成立するわけがない。たとえば、こんな例を考えてみてほしい。
 超伝導などというものは存在しない。なぜなら、存在するならそれは超伝導ではなく、ただの伝導だからだ。
 超新星などというものは存在しない。なぜなら、存在するならそれは超新星ではなく、ただの新星だからだ。
 超特急などというものは存在しない。なぜなら、存在するならそれは超特急ではなく、ただの特急だからだ。
 超合金などというものは存在しない。なぜなら、存在するならそれは超合金ではなく、ただの合金だからだ。
 超党派などというものは存在しない。なぜなら、存在するならそれは超党派ではなく、ただの党派だからだ。
 超法規的措置などというものは存在しない。なぜなら、存在するならそれは超法規的措置ではなく、ただの法規的措置だからだ。
 超人バロム1などというものは存在しない。なぜなら、存在するならそれは超人バロム1ではなく、ただの人バロム1だからだ。
 これらが間違っていることはすぐわかるだろう。なぜなら、超伝導も超新星も超特急も超合金も超党派も超法規的措置も超人バロム1も、確かに存在するからだ。

 他にも例を挙げればきりがないが、超能力否定論者の論理が取るに足らないものであることがよくわかったことと思う。彼らの論理は、はじめから破綻しているのだ。
 え? いくら否定論の矛盾を指摘したところで、超能力の実在を証明したことにはならないって?
 そう、それはそのとおりである。ではここで、超能力の実在を証明しておこう。なに、七面倒くさい証拠調べや、複雑な理論など必要ない。初歩的な論理学で、簡単に証明できるのである。
 この命題を考えてみてほしい。

 時計を止めずに、時計に触ることが可能である。

 いかがだろうか。この命題が正しいことは明白だろう。
 さて、この命題が正しいことがわかったら、次はこの命題の対偶を考えるのだ。ある命題が正しければ、その対偶命題も正しい。これはご存じのとおり、論理学の初歩である。

 時計に触らずに、時計を動き出させることが可能である。

 そう、これはかつてユリ・ゲラーがおこなった有名な超能力実験のことである。というわけで、超能力の実在が証明されたのだ。
 え? まだ信じられない? そういう人は、最初の命題のとおりに時計に触ってみてほしい。時計は止まらないはずだ。それはすなわち、超能力が実在する、という証明に他ならない。そしてもし、触っただけで時計が止まってしまったのなら。それはすなわち、あなたが超能力者だ、ということである。




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