第265回 昼下がりの雑文祭 1999.6.24
第四回雑文祭も、どうやらひととおり作品が出そろったようである。回を追うごとに参加者も増加し、今回はついに百人を越えたようだ。第一回からの参加者としては、まことに隔世の感がある。
とはいえ、ここに至るまでの道は長かった。まず、誰が主催者となるかでちょっとしたいざこざがあり、管理能力があるのないの人徳がどうのこうの文章が上手だの下手だのといった不毛な論争が続き、ついには雑文ページを閉鎖する者まで出てようやく主催者が決まったと思えば、今度はお題の選び方について某氏が「文中に配偶者もしくは恋人の名前を入れること」と発言したのをきっかけにさらに激しい論議が発生し、ネット上にとどまらず直接論争相手の自宅に押しかけるなどの事態も頻発したのち、ついには一人の雑文書きの死体が大阪湾に浮かぶ、という結果となったのだ。
まあしかし、それらはすべて余興、些末事、雑文祭に付き物のちょっとしたトラブルに過ぎない。これを除けば、今回の雑文祭もおおむね成功したと言っていいだろう。
もちろん、揃った作品も非常にバラエティに富んでいる。そこで今回はちょっと趣向を変えて、これらの作品群の中からいくつかを選んで感想などを書いてみようと思う。いわゆる「雑文読み雑文」というやつだが、たまにはこんなのもいいだろう。ということで、「縛り」をもう一度確認しておく。
タイトル:「昼下がりの街角で」
書き出し:「とんでもないものを見てしまった。」
結び:「どうか教えてください。」
お題:文中に国名を三ヶ国入れる。
この「縛り」に従って書かれた雑文が百以上も並んだ様は壮観である。まあ、さすがに全部に感想を書くだけの気力はないので、以下のものだけで勘弁してもらおう。
『昼下がりの街角で』(ふぇら千代日記)
相変わらず下ネタ大爆発のふぇらちょ氏、今回もその勢いは健在である。ストーリーは例によって、街でナンパした女性とその儀に及ぶという内容で、いい意味のマンネリ、安心して読んでいられる。それにしても、これだけの下ネタを書きながら決して下品になっていないあたりがすごい。このふぇらちょ氏、実は女性だとの未確認情報もあるが本当だろうか? 一度オフミででも会ってみたいものだ。
しかし、オチが「昼下がり健康器」というダジャレなのは、ちょっとどうかと思うぞ。
『昼下がりの街角で』(キシザル百貨店)
やっぱり今回も出た、お題完全制覇。三ヶ国でいいと言っているのに、世界191カ国の国名がすべて入っている。しかも、それをすべてダジャレにしてしまっているのだから素晴らしい。特に、ノルウェーやアルゼンチンやアゼルバイジャンのダジャレは秀逸。思わずディスプレイの前で爆笑してしまった。北朝鮮やニュージーランドのダジャレはちょっと苦しかったけど、これはまあ仕方ないか。ムツゴロウの動物王国まで入っているのはご愛敬である。
『昼下がりの街角で』(大西美学)
耽美系サイトからの初登場。雑文界もずいぶん裾野が広がったものだ。ギャグ抜きで、学生時代の甘酸っぱい恋の想い出をつづった香気に満ちた雑文である。しかも、男同士の恋。描写が妙に具体的なところを見ると、これはやはり筆者の実体験なのだろう。しかし、これだけ美しく蠱惑的な文章を綴られると、一度くらいは経験してみてもいいかな、という気に……あ、いやいや、ならないってば。
『昼下がりの街角で』(鬼畜の勢い)
富豪刑事ならぬ富豪雑文書き、そのお大尽ぶりは今回も健在である。冷めてしまったの見栄えが悪いのと言ってフランス料理のディナーを何度も作り直させたり、ちょっと傷がついたからといってベンツやBMWをあっさりと捨ててみたり、足下が暗いからと言って一万円札に火をともしてみたり、まあ最後のは富豪というより俗物というべきかもしれないが、とにかくその浪費ぶりはすさまじい。
実は貧乏で、書いていることはすべてはかない夢、とかいうのならまだ許せるが、この筆者の場合、どうやらすべて事実のようだ。まったく、少しは私のような一般市民の気持ちを考えてほしい。むかむかむかむか。こんな人には、いつかきっと天罰がくだるに決まっています、ええ。
『昼下がりの街角で』(ヨムカ雑文店)
そう、宝くじは当たらないものなのだ。見知らぬ他人が当たることはあっても、ちょっとした知り合いが当たることはあっても、親しい友人が当たることはあっても、決して自分には当たらないものなのである。それがわかっていながらなお買い続けるとは、まさに悲しい人間の性であろう。……って、なにっ、五万円当たっただと! その程度で喜んでいてはいけない。それは撒き餌にすぎないのだ。必ずやあなたは、それの数十倍の金額をやつらに搾り取られることだろう。
それはそれとして、当たった宝くじの番号を堂々と公開してしまうとは信じられない。もしいたずら電話でもされたら……あ、いやいや、もし偽造でもされたら……あ、いやいや、もし警察に密告されたら……あ、いやいや、まあとにかく危険なのだ、注意注意。
『昼下がりの街角で』(破竹の勢い)
「鬼畜の勢い」が富豪雑文書きなら、こちらは赤貧雑文書き。名前が似ているのは偶然だろう。そのうちにホームレス雑文書きが登場するまでは、雑文界最貧の称号は彼のものである。
それはともかく、この筆者は、せっかく購入したiMacの調子が悪いせいか、あちこちに八つ当たりしまくっている。トキのひなにまで当たっているのだから困ったものである。そもそも、この八つ当たりは的外れであり、わざわざトキを中国から連れてくるのにはちゃんと理由があるのだ。もし日本からトキが一羽もいなくなったら、トキ保護センターの職員は全員失職である。この不況下、さらに失業者を増やすようなことをしてはいけない。つまり、中国からトキを連れてくるのは雇用対策であり失業対策なのだ。同様に、いい大人が何十人も寄ってたかって一匹のニホンザルを追い回しているのも失業対策であり、通信傍受法案も雇用対策であり、日の丸君が代法案も景気対策であり、なぜか阪神タイガースがいまだに勝率五割を維持しているのも不況対策なのだ。だから反対してはいけない。景気回復はすべてに優先する。多少の犠牲はやむを得ないのである。
『昼下がりの街角で』('Round Midnight)
ああっ、読むんじゃなかった。なんと恐ろしい話だ。キーボードを打つ手がいまだに震えている。ぶるぶる。まさか雑文祭でこれほど恐ろしい怪談が読めるとは思わなかった。事故死(?)を遂げた自動車の幽霊が出現する点もさることながら、この怪談のもっとも恐ろしい点は、目撃した者が幽霊だということにまったく気付いていないところである。だからこそ語り口が妙に淡々としたものとなり、かえって読者の恐怖感を増す結果になるのだ。
しかし、自動車の幽霊にはやっぱりタイヤがないのか。まあ、人間の幽霊には足がないのだから論理的に考えればそうなるのは当然だろう。ええと、すると蛇の幽霊というのは……。
『昼下がりの街角で』(くだらな随想)
言わずと知れた「雑文日記」の作者である。しかし、自らも雑文を書きつつ同時に他人の雑文の感想を書けるというのはすごいことだ。「偉そうに他人の雑文の批評なんかしてるけど、そういう自分の雑文はどうやねん! 他人にどうこう言えるほどのものを書いとるんかっ!」などと批判されることは想像していないのだろうか。そんなことを考えると、私はとてもじゃないが他人の雑文の感想など書けません。ええ、書けませんとも。
文中には「元同級生」「元先輩」「元後輩」などといった記述が出てくるが、元同級生の場合は今は卒業して同級生ではなくなったからいいとして、先輩というのは卒業しても先輩ではないのだろうか。それとも、ふふふ昔はあなたの後塵を拝していたが今は人生のすべての点においてあなたを追い越しているのだだからもう先輩とは呼ばないぞ、ということか。すると、元後輩というのはその逆で……ううむ、この辺はあまり追求しない方がよさそうだ。
ところで、「元同級生の奥さん」の「元」は、「同級生」と「奥さん」のどちらにかかるのだろう?
『昼下がりの街角で』(未知との遭遇)
前回に続いて登場の、日記界からの参加者である。雑文祭の知名度を上げるきっかけの一翼を担った人だ。今回は、FAXの中に生息するゴキブリに関する恐怖譚。
ああしかし、私は科学技術には疎いし、FAXの原理もよくわかっていないのだが、これは当人だけでなく受信先にも迷惑をかけるのではないだろうか。FAXが届いたなあと思って見に行くと、そこからは紙の代わりに多数のゴキブリがわらわらわらとあふれ出しているのだ。ううっ、恐ろしい。さらにそのFAXから別の所へ送信すると、そこにも当然ゴキブリが……。こうやって、まるでコンピュータウイルス(これも実はよくわかっていない)のようにゴキブリが増殖していくのだ。いや、ゴキブリだけならまだいい。途中で混信でもしたら、恐怖のゴキブリ人間が誕生してしまうのではないか。FAXが届いたなあと思って見に行くと、そこには何もない。疑問を感じつつFAXを見つめていると、背中の方でなにかが動く気配が。振り返ると、そこには……。
……振り返ると、そこにはドレスを着て化粧をした夫の姿があった、とのことだ。ということで、未知さん二本目の作品。
『昼下がりの街角で』(大西科学)
毎度おなじみの大西科学。「世界のすべては美学で説明できる」と主張する大西美学とは相変わらず対立を続けている。名字が同じなのは偶然か、それとも親戚兄弟のたぐいか。同一人物の別人格だったら怖いなあ。びくびく。
さすがは科学の使徒らしく、デートのときの恋人との会話もファジー理論に関するものだ。私はよく知らないのだが、確かバクテリアを食べるウイルスに関する理論だったように思う。しかし、どうしてこうノロケ雑文を書く輩が多いのか。私なんて、書きたくても書けないというのに。むかむかむかむか。
……え? 文中の「彼女」というのは実は男だって? ううむ、それはあんまりうらやましくないなあ。
『昼下がりの街角で』(うねうね)
げ。まさか同じ雑文書きに目撃されるとは思わなか……あ、いやいや、それは夢です。幻覚です。だから写真はやめてっ。
『昼下がりの街角で』(雑想録)
ううむ、それはきっと『ウルトラファイト』という番組のロケで、殴り合っていたのはメトロン星人とイカルス星人だろう。なにしろ宇宙人なんて、みんな同じ顔に見えて区別がつかないからなあ。まあ、どうせ向こうだって人間とノンマルトの区別なんてつかないだろうからおあいこである。
『昼下がりの街角で』(狂いの咆吼)
なるほど、動物愛護団体か。「人間も動物と同じように四足歩行するべきである」との主張はうなづけないこともないが、やっぱりしんどそうだなあ。どうせなら、遺伝子操作でも施して動物の方を二足歩行にした方がいいぞ。そうすれば、宇宙人にとってはますます区別がつかなくなってめでたしめでたしである。
『昼下がりの街角で』(夢酒庵)
頼みもしないのに二本も書いた人である。まったく、ありがためいわ……あ、いやいや、ありがたいことです。しくしく。
しかし見事な構成だ。一見まったく別の話のようだが意外なところで繋がっているのだから。そう、そのアダルトショップで目撃した少女は実はフラワーショップの娘なのである。店番をしていたところ、ちょっと目を離したスキに大切なスグリの実を心ない犯罪者に盗まれてしまった。父を病気で亡くして以来、母一人子一人で細々と営んできたフラワーショップである。大事な商品を盗まれでもされたら、明日の食事にも困るような状況なのだ。このようなことを母親に言えるわけもなく、自分の不注意で失った売り上げを取り戻すために、少女は心ならずも万引きに手を染めることに……ううっ、悲しい話だなあ。
『昼下がりの街角で』(父親の屁理屈)
もちろん、スイカは欧米にも存在する。ハロウィンのころになると、中身を食べて目と口の部分をくりぬいたスイカを頭からかぶり、「イタズラされたくなけりゃお菓子を出しな、へっへっへ」と脅しながら家々を巡り歩く子供の姿がよく見受けられるのだ。このスイカオバケ、顔がスイカであることから、スイカづらと呼ばれている。なお、殿馬とは関係ない。
『昼下がりの街角で』(砂漠の旅人)
阪神が勝っていたら牛丼の値段は十分の一、負けていたら十倍というのは、果たして確率的にどうなのか。どうも、店の方が儲かっているような気がするが。
そういえば、私もこの前こんな看板を出している牛丼屋を見た。「阪神の得点が整数なら値段は十分の一、それ以外なら十倍」。ふん、小学生ならともかく私はそんなことではダマされないぞ。整数よりも有理数や無理数の方がはるかに多いではないか。そんな小さな確率に賭けるわけがないのだ。
『昼下がりの街角で』(もぐら蔵)
それではここで、いしかわじゅん描くところの名探偵ちゃんどらにプリンの最後を推理してもらおう。
「私がちゃんどらだ。なに、簡単なことだよダミアンくん。そのプリンは警察に証拠物件として押収されてしまったのだ。中から死体が出てきては仕方あるまい」
「おおっ、そんなことまでわかるのか。すごい推理だ」
「いや、単に現場を目撃してただけなんだけどね」
「ぎゃふん(死語)。で、それは誰の死体だったの?」
「プリンといえば決まっている。『破竹の勢い』のいっしょう氏だ。何しろプリンが死ぬほど嫌いないっしょう氏、プリンの中で溺死では死んでも死にきれなかっただろう。かわいそうに」
「で、犯人の目星は? いっしょうさんに恨みを持つ者の犯行とか?」
「いや、それが、恨んでいる者がけっこう多くてなあ。今のところ捜査線上にあがってきたのはおよそ3600人……はっ、わかったぞ、こいつら全員が犯人だ! 全員が一個ずつプリンを持ち寄って……」
「おいおい、そりゃ盗作だって」
「しーっ、黙ってりゃバレないのに」
『昼下がりの街角で』(補陀落通信)
まあ、こんなのはどうでもいいとして。
『昼下がりの街角で』(闇鍋クリニック)
冒頭で「大阪湾に死体が浮かんだ」と書いたが、それがこのページの筆者、窮太郎氏である。謹んでご冥福をお祈りする。
いつもは考察系の、比較的硬めの雑文を書いていた窮太郎氏だが、雑文祭参加作品は氏には珍しく古典落語を彷彿とさせる爆笑作品。思わず大笑いしてしまい、その後筆者がすでにこの世にいないことを思い出して落涙してしまう。ところで、窮太郎氏が亡くなったのは雑文祭開催の三日前である。だから、当然雑文祭で氏の作品が読めるとは思っていなかったのだが、当日になると密かに更新されていた。すでに書き上げていたものを、家族なり友人なりが更新したのだろうか。これについての説明はどこにも書いていない。
『昼下がりの街角で』(黄金の日々)
そして、窮太郎氏を殺害したのが、このページの筆者のすけさんである。雑文界の中では特に窮太郎氏と折り合いの悪かったすけさんを疑う声もあったのだが、いかんせん証拠がなかった。ところがすけさん、雑文の中で自ら犯人だと公言したのである。告白文は、きちんと雑文祭の「縛り」に従っているという念の入れようだ。この過激な内容のおかげで、今のところ「黄金の日々」のアクセス数はダントツである。
すけさんは、この雑文を更新したあと行方をくらまし、警察の必死の捜査にも関わらずまだその身柄は確保されていない。すけさん、もしもこの文章をどこかで読んでいるのなら、今すぐに警察に出頭してほしい。逃亡は、決してあなたのためにはならない。まだ若いのだし、いくらでもやり直す道はある。粛然と法の裁きに従おうではないか。
『昼下がりの街角で』(殿下の放蕩)
いつも面白い文章で楽しませてもらっているのだが、今回の雑文だけはいただけない。窮太郎氏の死をネタにするとは、いくらなんでも反則だろう。
追悼雑文ならまだ許せる。だが、こともあろうに怪談にしてしまっているのだ。「闇鍋クリニック」の雑文祭用雑文には呪いがかけられており、読んだ人のところには窮太郎氏の怨霊がやってきて殺されてしまう、ということである。まったくふざけた話だ。私も当該雑文を読んだが、当然ながら窮太郎氏の怨霊などあらわれるはずもない。……ん? 今、玄関の方で水のしたたるような音がした。台所の蛇口でもゆるんでいるのだろうか。あとで締めに行かねば。ん? 今度は背後で、ふすまの開くような気配が。海水の腐ったようなにおいが漂ってきて、すぐ後ろで荒い息づかいが聞こえる。まさかそんなはずは。振り返ると、そこには
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