第267回 大いなる化粧 1999.7.11
人はなぜ化粧をするのか。そこに化粧品があるからだ。
そういうわけでもないだろうが、とにかく人間は大昔から化粧をしてきた。人間と化粧とは切っても切れない関係にある。何しろ、地球上で戦争がおこなわれていない日はあっても化粧がおこなわれていない日はない、というくらいだ。人類の歴史は化粧の歴史と言っても過言ではないだろう。
その化粧が大きく発達したのは古代エジプトにおいてである。当時のエジプトでは、実にさまざまなものを原料にして化粧品が作られていた。赤土、カニの甲羅、真珠の粉、アリの幼虫、牛の糞、ミイラの粉、ワニのヘソの緒、コウモリの卵、人間の胎盤などである。かなり気持ち悪いものも含まれているようだが、なあに、今の化粧品の原料だって大して違いはない。ベンゾチアゼピンだとかパラフェノールスルホン酸だとかテストステロンだとかエヴァンゲリオンだとかいう名前で書かれているのでわからないだけである。
では古代エジプトではどのような化粧が流行っていたかというと、先年王家の谷から発見された当時の化粧技術書『カレのハートも楽々ゲット!最新ラブラブお化粧テクニック♪(意訳)』によると、目の回りにやたらと太くて濃いアイシャドウを塗るのがトレンドだったらしい。これは、エジプトの強い日射しから目を守るという実用的な効果もあったようだ。
ちなみにこの書にはトップレディ・クレオパトラの化粧法が詳しく紹介されている。それによるとクレオパトラは、頬を赤土で染め、眉を鉛で黒くし、上まぶたはラピスラズリの粉でブルーブラックに染め、下まぶたには緑青を塗り、さらにしわ隠しにタマゴの白身を溶いたものを顔全体に塗っていたとのことである。なんだかとてつもなく肌に悪そうだ。こんな化粧をするくらいなら、私はすっぴんのままの方がいいなあ。
私のことはともかく、肌に悪いといえば日本の江戸時代の化粧もそうだった。歌舞伎役者や舞妓や芸者などは白粉を顔中にべったりと塗っていたのだが、この原料というのが水銀や鉛なのである。当時の役者はこれが原因で死亡するものも多かったというから、まさに命がけの化粧である。恐ろしい話だ。今や顔に鉛を塗る者など、富士山の頂上から飛ばされる毒電波を受信しないように遮蔽しようとする人くらいだというのに。
恐ろしいといえば、顔パックも恐ろしい。パックしている最中の顔が恐ろしいのはもちろんだが、問題はパックの材料である。これも昔から、実にさまざまなものが用いられてきた。タマゴパック、牛乳パック、キュウリパックなどが一般的だが、紅茶キノコパック、ナタデココパック、イカスミパックなど爆発的に流行してすぐに廃れてしまったものもある。また欧米ではカボチャパックが根強い人気を保っている。これは、カボチャを薄切りにして顔に貼るなどという穏やかなものではなく、大きなカボチャをくりぬいてそれを頭からかぶるという豪快なものだ。なぜかハロウィンの時期になるとよく町中で見られるらしい。
さらに恐ろしいパックもある。中世イタリアの貴婦人たちの間で流行していた鳩パックだ。鳩の糞を顔に塗る、などといった生やさしいものではない。鳩の腹をかっさばき、むき出しの内臓をそのまま顔に貼り付けるのである。なんだか化粧というより拷問といった方がよさそうだ。
しかし、そこまでして綺麗になりたいのだろうか。もし、バスルームでシャワーを浴びて出てきたとき、恋人が鏡の前でいそいそと鳩パックなどをしていたらどんな気持ちになると思うのだ。百万年の恋もさめてしまうだろう。その場で別れを告げられること必定である。しくしく。
ええ、それ以来私は鳩パックはしていません。
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