第274回   ツイてる男  1999.8.29





 狐つき、などという話も最近ではめっきり聞かなくなってしまった。
 私が子供のころ、そう、大正末期から昭和初期にかけては、まだ町内に狐つきの一人や二人はいたものだが、やはり文明の進歩に伴い狐自体の数が減ってくるに連れて狐つきも消えつつあるのだろうか。いや、グリコ森永事件の犯人の例を見ればわかるように、まだまだ探せばいるところにはいるはずだ。
 狐つきの原因、というのも、実はまだよくわかっていない。狐の動物霊が憑依するのだという説、自分が狐だと思いこんでいるだけの人間だという説、自分が人間だと思いこんでいるだけの狐だという説、さらには「赤いきつね」の食べ過ぎだという説まである。いったいどんな説なんだ。もしその説が真実だとすると、「緑のたぬき」の場合はまあいいとしても、「黄色いカレーうどん」を食べ過ぎたらいったいどうなってしまうというのだ。考えるだに恐ろしい。ぶるぶる。

 もちろん、「つきもの」というのは狐つきだけではない。他にもいろいろな動物がつくことがある。たとえば犬神つきだ。歴史的にこの犬神つきが発生する確率が大きい家系というものがあって、この家系からは白いゴムのマスクを被った男や池の中で逆立ちをしてシンクロナイズドスイミングをする男、ブルーバードSSSに乗った狼男やキヘヘヘヘと不気味に笑いながら球を投げるピッチャーやペンションに居候するプレイボーイや銀髪の名探偵などが出ている。有名な犬神家の一族だ。犬がミケなら猫はポチ。
 他にも狸つき、熊つき、猪つきなどがいるが、つくのは哺乳類だけではない。現に、ロシア革命の指導者の一人であった男などはマグロに取りつかれていたようだ。さらに鳥類がつく場合も多い。珍しい例ではきつつきつきなどというものもあるが、この場合はきつつきという鳥自体がすでにきつにつかれているわけで、いわばメタつきものと言えようか。さらに雑文書きなども皆ある種の鳥につかれているという説もある。

 以上に紹介したようなつきものはすべて昔から日本に住んでいた動物だが、最近では海外から様々な動物が流入してくるせいか、新たなつきものも発生している。
 たとえばラッコつきだ。ラッコつきなどは一見害がなさそうだが、実はそうでもない。ラッコにつかれると、夜な夜な電柱の影に潜んでは通りかかる人を隠し持った石で殴りつけるようになるのだ。ほとんど通り魔である。さらにナマケモノつきというものもある。ナマケモノにつかれると、まったく仕事をしなくなってしまうのだ。これは恐ろしい。もし日本人全員がナマケモノつきになってしまったら…………って、いかんいかん。このネタはこの前使ったばかりではないか。

 それはそれとして、アライグマつきの男なら実際に見たことがある。
 あれはまだ私が東京に出向していたころ、今年の冬の話だ。横浜の客先へ赴いて極秘の商談をした後、少し時間が余ったので近くのデパートをぶらついていた。平日の昼下がりのせいか、あまり人出も多くない。
 しばらくうろうろしているとトイレに行きたくなったので、なるべくすいている所に行こうと最上階のレストラン街のトイレに入った。そこでその男を見たのだ。二十歳前後の茶髪の男が、洗面所で一心不乱に手を洗っている。まさに鬼気迫るというか、恐ろしい形相だった。その時はまだアライグマつきだという確信は持てなかったのだが、とにかく私はその男の背後を通り、個室に入った。
 用を済ませて出てくると、まだその男はいた。相変わらず一心不乱に洗っている。よく見ると、今度は手ではなくダウンジャケットを洗っているのだ。おいおい、そんなものをこんなところで水洗いしたら傷んでしまうぞ。なるほど、アライグマにつかれると、このように何でもかんでも洗わずにはいられなくなるわけか。
 そう考えつつ、男の背後を通り過ぎる。見ると、入るときは気付かなかったが、洗面台の上に刃渡り二十センチくらいのナイフが置いてある。何か赤いものがこびりついているが、これも洗うつもりだろうか。などと思い立ち止まってながめていると、その男が振り返ってこちらをにらんだ。すごい目つきだ。アライグマってもっと大人しい動物じゃなかったのか、などと考えるひまもなく私は急いで逃げ出してきたのだが、ううむ、今考えればもったいないことをした。
 せっかくアライグマつきという珍しい症例に出会ったのだから、もっと詳細に観察しておけばよかった。「なぜそんなものを洗っているのですか?」「洗いたくなったのはいつごろからですか?」などと、インタビューもしてみたかったのに。できることなら、もう一度会いたいものである。




第273回へ / 第274回 / 第275回へ

 目次へ戻る