第273回   今夜も眠れない  1999.8.22





 世間ではなぜ、トイレについて語られる怪談が多いのか。それにはいくつか理由がある。
 まずは、トイレ自体が暗くてじめじめしたところにあることが多い、ということだろう。民家でもビルでも、トイレというものは大抵北側に位置し、窓も小さくて採光もよくない。南向きサンルームで日当たり抜群のトイレ、などというものにはあまりお目にかからないだろう。
 次に、トイレには基本的に一人で入るもの、という理由だ。まあ、二人で入ってなにやらよからぬことをしている場合もあるだろうが、そういうのはレアケースだ。トイレでは、人間は孤独なのである。
 さらにトイレでは、下半身むき出しの無防備な格好になる。上半身もむき出しにする人もいるだろうが、そういう人はやっぱり何かよからぬことをしているのだろう。いずれにしろこれもレアケースだ。そして下半身むき出しの格好というのは非常に不安である。何か突発事態が発生しても急には対処できないのだ。だから、何か起きたらどうしようという不安感が怪談を発生させる素地になる。
 ……などといろいろと小難しい理屈はあるのだが、一般人の我々としては素直にトイレの怪談を楽しんでいればいいのだろう。そこで今回は、面白そうな怪談をいくつか紹介しよう。
 まず、有名なものとしては『赤い紙青い紙』という話がある。こんな話だ。


 東京の、とある小学校での話です。
 その小学校の体育館の隣には古いトイレがありました。しかし、そこに入ろうとする子供たちはほとんどいません。なぜなら、端から数えて四番目の個室に入ると、必ず紙がなくて、どうしようかと困っていると、どこからか「赤い紙が欲しいかぁ、青い紙が欲しいかぁ」という声が聞こえてくるからです。
 あるとき、このトイレに入った子が「赤い紙をくれ」と答えたところ、全身を切り裂かれて血で真っ赤になって殺されてしまったそうです。また、別の子が「青い紙をくれ」と答えたところ、全身の血を抜かれて真っ青になって殺されてしまったそうです。


 ぶるぶる、なんと恐ろしい話だろう。トイレに入って紙がないなんて。
 いや、怖がるところはそこではないか。
 まあそれはともかく、こういう怪談には細部が微妙に違ったバリエーションがいくつもあるのが普通である。この『赤い紙青い紙』も例外ではない。たとえば、別の小学校に伝わる話によると、入った子が裏をかいたつもりで「茶色い紙をくれ」と答えたらしい。その子も結局殺されてしまうのだが、場所がトイレだけにその殺され方を思うとまさに背筋も凍り付くような恐怖を覚える。
 また別の類話では、「赤い紙をくれ」と答えた子には召集令状が届き、「青い紙をくれ」と答えた子には税金の確定申告書が届いた、という話があるが、これは少々出来過ぎであろう。

 そして映画化もされて有名になった『トイレの花子さん』には、さらに多数の類話がある。


 後ろから三番目のドアを八十七回たたくと、真っ赤な服を着た女の子が立っていました。その子はとても髪が短く、苦しそうな顔をしていました。翌日の朝ふたたびそのトイレに来てみると、奥に一冊の古い本を見つけました。ぺらぺらとめくってみると、「1879年に花子誕生」と書いてあり、写真が載っていました。写真の女の子は、真っ赤な服に短い髪の女の子でした。


 ううっ、恐ろしい。


 花子さんと太郎くんがかくれんぼをしていて、花子さんが女子トイレの三番目に隠れました。そのときちょうど空襲で爆弾が落ちて、花子さんは死んでしまいました。そして今でもそのトイレで太郎くんが探しに来るのを待っているそうです。


 ううっ、これも恐ろしい。


 わたしは花子さんが死んでしまったわけを知っています。ある日、学校のトイレの二番目に入って、バナナの皮を踏んで滑って頭を打ってしまったのです。……あっ、あなた、笑いましたね。いずれあなたは花子さんに怒られるでしょう。


 ううっ、たぶん恐ろしい。


 花子さんに百点のテストを見せると「おどろき桃の木パパイヤー!」と言って逃げるけど、0点だとにこにこして「うぉーほほほほ」と言って追いかけてくるのです。


 ううっ、きっと恐ろしい。


 三階のトイレの三番目を三回たたいて「花子さん、遊びましょ」と言います。すると「何して遊ぶ?」と返ってきます。ここで「おにごっこ」と言うと追いかけられます。「なわとび」と言うと縄で首を絞められます。「おままごと」と言うと包丁が落ちてきます。


 私ならついつい「お医者さんごっこ」と答えてしまうところだ。危ない危ない。

 そうそう、トイレといえば、幼いころの恐ろしい記憶がある。
 あれはまだ天王寺の古い家に住んでいたころだから、幼稚園に入る前のことだろう。私は一人でトイレに入った。普段は鍵などかけないのだが、その日に限って、なぜか内側から鍵をかけてしまったのだ。真鍮の棒に付いているつまみを持ち上げて横へスライドさせるタイプの、非常に古い鍵である。そして、かけたのはいいが、今度はその鍵を開けられなくなってしまったのだ。閉じ込められてしまった。
 私は泣き出した。父母をはじめ、家中の者が駆けつけてくる。そして、外から声をかけて鍵の開け方を教えようとするのだが、私は気が動転して泣きわめくばかりでどうにもならない。本当に恐ろしい経験だった。
 しかし、結局私はどうやってトイレから出たのだろうか。その辺の記憶が残っていないのだ。自分で鍵を開けた記憶もないし、窓も非常に小さくて人が通れるようなものではない。家人が斧でドアを破って救出された、という記憶もないのだ。ただトイレの中で泣きわめいている記憶があるだけで、その後のことはまったく覚えていないのである。
 ひょっとして、と考える。
 ひょっとして私は、まだ救出されていないのではないか。本当の私は、あのトイレの中で泣き疲れて眠っているのではないか。その後小学校中学校高校大学と順調にでもないが進学し入社試験をなんとかごまかして今の会社にもぐり込み仕事をしているふりをしながら雑文などを書いているというのは、すべてトイレの中で幼い私が見ている夢なのではないか。ふと目が覚めると、私はまだ狭くて暗いトイレの中にいるのではないのか。
 そう考えると、今夜も眠れないのである。




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