第287回   琵琶湖マジック  1999.11.21





 琵琶湖は大きい。どれくらい大きいかというと、湖なのに水平線が見えるほどだ。
 琵琶湖は大きい。どれくらい大きいかというと、湖なのに波が打ち寄せるほどだ。
 琵琶湖は大きい。どれくらい大きいかというと、湖なのに海水浴場があるほどだ。
 いや、湖だから海水浴場ではない。淡水浴場か。特殊浴場なら雄琴にある。まあそれはともかく、琵琶湖は大きい。さらに、大きいだけでなく歴史も古いのだ。そう、琵琶湖は古代湖なのである。
 古代湖といっても小さな太鼓のことではない。夏目漱石『坊ちゃん』の同僚の教師のことでもない。もちろん、昔『モンキーマジック』を歌っていたグループのことでもない。数十万年以上の歴史を持つ湖のことである。琵琶湖は、カスピ海やバイカル湖などと同じくらい古い歴史を持っているのだ。その歴史は、実に四百万年。四百万年といえば、二千年問題二千回分である。途方もなく長い。
 では、その歴史を振り返ってみよう。

 今をさかのぼること四百万年前、三重県は伊賀上野地方の小さな盆地に水がたまり、湖ができた。これが琵琶湖の始まりである。この湖は、当時の人々には大山田湖と呼ばれていた。その頃は亜熱帯性の気候だったらしく、魚類や貝など多様な生物がすんでいたらしい。しかし、この大山田湖は三百二十万年前に消滅してしまう。
 その後、大山田湖の少し北に、浅くて広い湖が誕生する。これは阿山湖と呼ばれている。この阿山湖はさらに北に移動し、甲賀湖となった。そして二百五十万年前には今の湖東から湖南にかけての湿地帯に姿を変え、蒲生湖と呼ばれるようになった。この蒲生湖ではメタセコイアがおい茂りナウマンゾウが歩き回っていたというが、ついに百八十万年前に干上がって消滅してしまう。
 しかし、琵琶湖は滅びてはいなかった。およそ百万年前、今度は堅田丘陵付近に堅田湖と呼ばれる小さな湖ができた。琵琶湖は見事に復活したのだ。……などと書けば、疑問に思う人もいるかもしれない。蒲生湖と堅田湖は、まったく別の湖ではないのか。なにしろ八十万年も間があいているのだ。同じ湖が復活したと考えるのはおかしいのではないか。まあまあ、そんなかたいことは言わずに。天皇家だって、万世一系などと言いながらアヤしいところは結構ある。武烈天皇と継体天皇の間なんか特にアヤしいが、そういうことは深く追求しないのが大人の態度だ。
 まあそれはともかく、その後、約四十万年前に堅田丘陵が隆起して堅田湖が一気に西へ移動して新たな湖になったのだ。これが現在の琵琶湖の原型である。その後琵琶湖の湖底は水の重さに耐えかねてどんどん沈降し、今のような深くて広い琵琶湖になったのだ。
 だが、これで琵琶湖の歴史が終わったわけではない。琵琶湖は現在も、年に数センチの速度で北へ移動しているのである。このままだと何十万年か後には琵琶湖は日本海と融合してしまうだろう。琵琶湖を見に行くなら今のうちである。

 と、これが今のところ公式に認められている琵琶湖の歴史である。正確な歴史なのだろうが、今ひとつ面白味に欠けるような気がする。ならば、こんなのはどうか。
 その昔、日本にはダイダラボッチが住んでいた。昭和三十年代に阪神タイガースにいたがあまり活躍しなかった外国人選手、代打ラボッチのことではない。阪神ではなく巨人、そう、ダイダラボッチとは伝説の巨人のことである。どれくらい大きいかというと、富士山に腰掛けて駿河湾で顔を洗ったと言われるほどだ。
 そのダイダラボッチがある日、近畿地方を散歩していた。すると足下の比叡山につまづいて転んでしまった。ええい、なんでこんなところに山があるのだ。怒ったダイダラボッチは地面を蹴っ飛ばした。すると、大きな土のかたまりがえぐれて飛んでいき、その跡に水がたまって琵琶湖になったという。
 そして、飛んでいった土のかたまりがどうなったかというと、ひっくり返って瀬戸内海に落ち、淡路島になったのである。どっとはらい。




第286回へ / 第287回 / 第288回へ

 目次へ戻る