第289回   ホテルの墓  1999.12.5





 出張先でなんとか仕事を終え、ビジネスホテルの一室にチェックインしたときはすでに午後十時を過ぎていた。
 疲れていたのでそのまま倒れ込んで寝てしまおうとも思ったのだが、寝る前に確認しておかねばならないところがある。そう、額の裏だ。

 実は、ホテルというのはけっこう人が死ぬ場所なのだ。自殺他殺事故死病死、溺死轢死に老衰死、無理心中に腹上死、変死怪死に過失致死、獄死戦死に酔生夢死、必死瀕死に不老不死、ホテルは危険でいっぱいである。しかし、人が死んだからといってその部屋を使用禁止にしてしまうわけにはいかない。そんなことをしていればホテル中開かずの間だらけになってしまう。だから、とりあえずお祓いだけしておいて何食わぬ顔で客を泊めるのである。
 ところが、いくらお祓いをしても出ることがある。幽霊だ。お祓いでは抑えきれないほど強力なパワーを持った幽霊なのか、あるいはお祓いなどという非科学的なものは信じない幽霊なのか、とにかく出るものは出るのだ。そんな幽霊を封じるには怨霊退散のお札を貼ればよい。まあ、お札で封じられるとは限らないのだが、ないよりはマシである。
 お札を貼るといっても、その辺にべたべたと貼っておくわけにはいかない。そんなことをすれば「ここは何かあった部屋だな」と客にバレてしまう。カムフラージュして、客にはわからないように貼らねばならないのだ。カムフラージュする方法としては、部屋の隅に積み重ねた古新聞の中に隠す、状差しにさりげなく差しておく、森の中に隠す、小泉今日子の等身大立て看板の裏に隠す、などがあるがやはり一般的なのは額の裏だろう。絵が入った額ならホテルの部屋に飾ってあっても不自然ではない。

 とまあ、前置きが長くなったがそんなわけでホテルの部屋に入ったらまず額の裏を確認するのが習慣になっているのである。
 部屋を見回すと、額はすぐに見つかった。ベッドの枕の上に掛かっている。ダリの『柔らかい時計』だ。ううむ、趣味がいいのか悪いのか、普通は風景画だろう。などと思いつつ額の裏を見る。やっぱりあった。壁にお札が貼ってある。しかし、怨霊退散のお札ではない。子宝祈願のお札だ。こんなところで子宝に恵まれるわけにはいかない。ただでさえ最近お腹が出てきたというのに。フロントに電話して部屋を替えてもらうことにしよう。

 部屋は替えてもらったが、それだけで安心してはいけない。この部屋にもお札がないとは限らないのだ。さっそく、ベッドの上に掛かっているエッシャーの『反射球体と手』の裏を見る。ここにもあった。駐車禁止のステッカーが貼ってある。するとこの部屋は車が通るというのか。そんな恐ろしい部屋に泊まるわけにはいかない。フロントに電話して部屋を替えてもらうことにしよう。

 部屋は替えてもらったが、それだけで安心してはいけない。この部屋にもお札がないとは限らないのだ。さっそく、ベッドの上に掛かっている岡本太郎の『黒い太陽』の裏を見る。ここにもあった。アンパンマンのシールが貼ってある。するとこの部屋にはバイキンマンが出るというのか。そんな恐ろしい部屋に泊まるわけにはいかない。フロントに電話して部屋を替えてもらうことにしよう。

 部屋は替えてもらったが、それだけで安心してはいけない。この部屋にもお札がないとは限らないのだ。さっそく、ベッドの上に掛かっているジャッキー大西の『恋するバナナワニ』の裏を見る。ここにもあった。筆で「不当判決」と書いた紙が貼ってある。ううっ、なんだかよくわからないが恐ろしいぞ。とにかくフロントに電話しよう。

 ホテルの従業員の後について廊下を歩きながら聞いてみる。今度の部屋は大丈夫だろうな?
「え、いや、まあ……」
 む、アヤしい。やっぱり何かいわくのある部屋なのか?
「ええ、実は……去年、首吊り自殺がありまして……」
 ううっ、するとやっぱり幽霊が出るのか? と聞きつつドアを開ける。
「いえ、幽霊は出ません。それは大丈夫です。ただ……」
 ただ? と思いながら部屋の中に入っていく。すると、何かが私の顔にぶつかった。ぶらぶら揺れているものだ。
「ただ……まだぶら下がったままなんですよね」
 うわあっ! それくらい、さっさと片づけておけ!




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