第308回   花は桜木  2000.4.17





 京都ではすでに桜も満開を過ぎて散り始めたが、桜前線は順調に北上しているようだ。
 まことに喜ばしい限りである。花粉前線や西部戦線やジョージ・ジェンセンが北上するのは困るが、桜前線が北上するのはめでたいことだ。桜前線とともに北上すると言われている伝説のお花見探偵・花屋敷ひばりも、今ごろは仙台あたりで『青葉城恋唄連続殺人事件』の捜査に明け暮れているのだろうか。
 桜といえば花見である。桜見ではなく花見だ。桜こそは日本を象徴する花、単に「花」といえばそれは桜のことなのである。ちょうど大阪で、単に「肉」といえば牛肉をさすのと同じようなものだ。そう、だから、大阪では肉まんといえば牛肉のまんじゅう、肉じゃがといえば牛肉とじゃがいも、肉親といえば牛の親、肉眼といえば牛の目のことである。だがこの常識は、残念ながら他の地方では通用しないようだ。東京で焼肉定食を注文したら牛肉ではなく豚肉だったので我を忘れて怒り狂い、定食屋を破壊した挙げ句に警察に捕まってしまった悲劇の大阪人、というのもよく聞く話である。これは異なる文化が衝突した際の避けられない事態といえるだろう。
 しかし、「肉といえば牛肉のこと」というのは大阪ローカルだが「花といえば桜のこと」は全国区である。よく覚えておいていただきたい。ちなみに馬肉のことを桜肉というが、そういうことを持ち出すと話がややこしくなるので言わないでおく。

 そして、東京の花見の名所といえば、やはり上野公園だろう。隅田川の方まで行けば、打ち上げ花見や仕掛け花見などの奇をてらった花見もできるようだが、やはりここはオーソドックスに上野公園に行きたい。
 上野公園は古くからの桜の名所で、江戸時代も花見客でにぎわったそうだ。当時は上野山全体が寛永寺の境内、当然ながら酒も生臭物も鳴り物も禁止だったから無粋な酔っ払いなど出ることもなく、下戸や子供たちが安心して花見を楽しめる場所だったのだ。
 ところが、今の上野公園はどうだろうか。花見の季節ともなれば、昼間はおろか朝っぱらから酔っ払いどもが出没し酒を飲んでのどんちゃん騒ぎ、酔う者寝る者歌う者踊る者、ジャケットをうらおもてに着る者いきなりズボンを下ろす者、木に登って猫の真似をする者木の下の死体を掘り出す者辞世の句を詠んで切腹する者、桜の木を切って「私がやりました」と謝っている者桜の木に向かって「さくら、お兄ちゃんはね……」と話し掛けている者、不忍池に鉄の斧を投げ込む者上野動物園の象の花子の鼻をながめて「これがダブル花見だ!」などと叫んでいる者までいる。ほとんど無法地帯であり、こうなればもう誰も花など見ていない。困ったものである。

 そう、そもそも「花見」と言いつつ花の下に入っていくのがいけないのだ。頭上に花があったら、首が痛くて見てなどいられないではないか。だからみんな花など見ずにどんちゃん騒ぎをしてしまうわけで、ここが花見のおかしなところだ。
 たとえば、雪見酒というものがあるが、これは雪の中に入って酒を飲むことではない。そんなことをすれば凍死してしまう。雪見酒というのは、部屋の中から降る雪をながめながら酒を飲むことだ。雪見だいふくも同様に、雪の中で食べる大福ではなく、雪をながめながら食べる大福のことだ。
 また、月見酒というものもある。これももちろん、月まで行って酒を飲むことではない。だいたい、月まで行ってしまったらながめるべき月は足元にあるのだ。地面を見ながら酒を飲む、などという情けないことはしたくない。月見酒というのは、地球にいて月をながめながら酒を飲むことである。月見うどんも同様に、月まで行って食べるうどんではなく、月をながめながら食べるうどんのことだ。
 だから花見も、桜の木の下に入ってしまってはいけない。遠くからながめて酒を飲むべきだろう。だいたい、桜の花粉にはエフェドリンという物質が含まれているのだ。アルカロイドの一種であり、交感神経を刺激して幻覚を見せるのである。そんなものを大量に摂取すれば、頭がおかしくなってくるだろう。まさに錯乱状態である。

 そんなわけで、花見をする際は十分注意していただきたい。酒が好きな人は特にそうだ。なにしろエフェドリンというのは風邪薬にも含まれている成分、そんなものを酒と同時に大量に摂取すればどうなるか、最近そんな事件があったように、いきなり心臓をやられてしまうかもしれない。
 え? なに? 気のせいか、胸が苦しくなってきた? ううむ、実は私もだ。仕方ない、ここは歌でも歌おう。え? 歌など歌っている場合じゃないって? よいよい、昔から言うではないか、♪貴様と俺とは動悸の桜〜、と。




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