第342回   雨に唄えば  2001.11.25





 しばらく雨が降っていない。
 まあ個人的には雨の日はあまり好きではないので降らない方がいいのだが、あまりに雨が降らないといろいろと困ることもある。
 関西では冬になると雨不足がけっこう続くことがあり、そうすると琵琶湖の水位がどんどん下がっていくのだ。琵琶湖から流れ出る淀川は周辺住民の貴重な水源となっていて、あまりに琵琶湖の水位が下がると取水制限や洗車禁止令や外出禁止令や戒厳令が発動されたりして困ることになる。さらに水位が下がり過ぎると琵琶湖の湖底に眠る伝説の超古代文明の遺跡が顔を出したりして、考古学者たちも困ってしまう。やはり、雨は適当に降った方がよい。
 その他にも、雨が降らないと困る人たちがいる。傘屋さんだ。傘屋さんたちは、雨が降らないともうからない。そう、昔からのことわざにも言うとおり「雨が降れば傘屋がもうかる」のである。
 と言われてもピンと来ないかもしれない。雨と傘屋に何の関係があるのだ、と不審に思う人も多いだろう。実は、こういうメカニズムになっているのである。
 雨が降る→道がぬかるみになる→滑って転ぶ人が増える→ズボンが汚れる→クリーニングに出す服が増える→重くてクリーニング屋まで持っていけない→傘に通してかついでいけば楽だ→傘が売れる→傘屋がもうかる
 というわけで、傘屋さんの生活を守るためにも、雨は適当に降った方がよい。

 しかし、雨というものは、なかなか降ってほしいときに降ってくれるものではない。往々にして、降ってほしいときに降らずに降ってほしくないときに降るものだ。昔からのことわざにも言うとおり「雨は天下の回り物」なのだ。いや、「傘は天下の回り物」だったかもしれない。ひょっとしたら「おれは天下の笑い者」か「彼は政府の回し者」かも。どうもこの辺はうろ覚えである。
 話はそれるが、この「うろ覚え」、「うる覚え」と間違える者は多いが、この前後輩Rから来たメールには「うら覚え」などと書いてあった。表で覚えたのではなくて裏で覚えた、の意味だろうか。ううむ、こんな間違いは初めて見た。あと「うり覚え」と「うれ覚え」があれば完璧なのだが。どこかにこんな間違いをする者はいないだろうか。

 閑話休題。雨の話である。
 雨が降ってほしいときはどうすればいいか。てるてる坊主を逆さに吊すとか下駄を裏返しにするとか、車を洗うとかアマガエルを鳴かせるとか、恋人に別れを告げられるとか神の怒りを買うとか、古来から伝わる方法はいろいろある。しかし、これらは単なる言い伝えに過ぎない。そんなもので雨が降れば誰も苦労はしないのだ。やはり、確実なのは雨乞いであろう。
 雨乞いをすれば雨は降る。それはもう、確実に降るのだ。嘘だと思うなら、雨乞いの行者を連れてきて祈らせてみるといい。
 最初に出てくるのは、修行し始めの一番下っ端の行者だ。この行者の祈りにより雨が降ることは少ないが、まあそれはいい。そもそもそんな下っ端の行者には大して期待していない。この行者が失敗すると、次はもう少し修行を積んだ、レベルの高い行者が出てくる。この行者も失敗すると、さらにもう少しレベルの高い行者が出てくる。また失敗すると、さらにレベルの高い行者が……というように、どんどん出てくる行者のレベルが上がってくるのだ。そして、レベルの高い行者ほど、雨が降る確率は高くなってくる。雨乞いの行者の力は素晴らしい。
 ……などと、だまされてはいけない。別に、雨乞いのおかげで雨が降ったわけではない。雨乞いしようがしまいが、雨はいつかは降るのである。そして、雨が降らない期間が長ければ長いほど、雨が降る可能性は高くなる。雨が降らない期間が長ければ、それだけレベルの高い行者がやってくることになるから、レベルの高い行者ほど雨乞いの成功率が高くなる、というわけだ。実に簡単なトリックだよワトソンくん。
 しかしまあ、行者のやっていることもまったくの無駄ではないのかもしれない。雨乞いの儀式で派手に火を焚くと上昇気流が発生し雲ができやすくなる、という話もある。少なくとも逆効果になることはないのだから、行者に雨乞いをさせてもいいのではないだろうか。
 え? 最高レベルの行者を連れてきたけど雨が降らなかった? ううむ、そういうときは、行者を逆さに吊しておきなさい。




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