第343回   クリスマス慰撫  2001.12.2





 目を覚ますと、一時間十分寝過ごしていた。
 ううむなんということだ、この大切な日に寝過ごしてしまうとは。絶対に寝坊しないようにと、目覚まし時計をかけておいたというのに。なぜ目が覚めなかったのか。
 実を言うと、以前、目覚まし時計の電池が切れて大切な仕事に遅刻したことがある。このときは往生した。電池というものは、絶対に切れてほしくないときに限って切れてしまうものなのだ。これに懲りて昨日、電池の不要な時計を買ってきたところである。目覚まし日時計だ。これなら絶対に電池切れにはならない。なにしろ日時計だからな。日時計……?
 ……はっ、まさか! 私はカーテンを開けて外を見た。雨が降っている。ううむ、やはりそうだったか。雨が降っていては、目覚まし日時計など役に立つわけがない。完全に失敗だった。今度から、こういう場合は目覚まし砂時計を使うことにしよう。

 などと落ち着いている場合ではない。一時間十分寝過ごしているのである。待ちに待ったクリスマスイブ、今日は彼女との初デートの日である。何度かデートを申し込んで、やっとOKをもらったのだ。
 今まで恋人のいなかった私にとって、初めての彼女初めてのデート、「はじめてのおつかい」より緊張する。何しろ、彼女いない歴三百年、先祖代々ひとりものの私だ。たかが寝坊くらいでこのチャンスを逃しては、独身のまま死んでいったご先祖様たちに申し訳ない。私は仏壇の前に座り、手を合わせた。見ていてください、ご先祖様。必ずや、彼女のハートをゲットしてみせます。でもちょっと自信がないので力を貸してください、お願いします。御仏の守りがありますように。

 などと落ち着いている場合ではない。クリスマスのデートに仏の力にすがってどうするというのだ。お盆のデートならともかく。いや、そういう問題ではなくて。一時間十分寝過ごしているのである。一刻も早く出掛ける準備をするべきではないのか。のんびり仏壇に手を合わせている場合ではないのだ。空の上からご先祖様たちが「そんなヒマがあったら早く支度せんかいボケ」というあたたかい言葉をかけてくれているのはなんとなくわかるが、つい茶目っ気を出してしまうのが私の悪い癖だ。
 とにかく早く出掛ける支度をしなければ。幸い、かなり早めに目覚まし時計をセットしていたため、急げばまだなんとか間に合いそうだ。急げ急げ。私は、ひげを剃りながら顔を洗い、歯を磨きながら朝食を食べた。まさに猫の毛も刈りたいほどの忙しさだ。そう思っていたらたまたま窓の外を野良猫が通りかかったので、毛を刈ってやろうと思い追いかけたが逃げられてしまった。ううむ残念、素早い猫だ。もっと足の遅い猫が来るまで待ってみるか。

 などと落ち着いている場合ではない。一時間十分寝過ごしているのである。一刻も早く出掛ける準備をしなければ。私は仏壇に供えてあったパンツを取り上げた。この日のために購入した勝負パンツである。ちゃんとグー・チョキ・パーの三種類用意してあるので、彼女がどんなパンツをはいていようと勝利は確実だ。黄金聖闘士並の速度で三種類のパンツをはきかえる技も練習してある。この必殺技には「スカイ・トリプル・パンチング」と命名した。
 はっきり言って、まだ彼女とは手をつないだこともない。しかし今日はクリスマスイブ、勝負パンツが必要になる状況も来ることだろう。最初はガードが堅かった彼女も、夜が更けてくれば次第に心を開いてくるものだ。そう、山下達郎も歌っている。「ダメ」は夜更け過ぎに〜「好き」へと変わるだろう〜♪ ああ、そんな言葉が聞きたいものだなあ。

 などと落ち着いている場合ではない。一時間十分寝過ごしているのである。急げ急げ。と思ったときに携帯電話が鳴った。ううむこれは、でんわ急げというダジャレか? と考えつつ電話に出た。彼女からだ。
「ごめんなさい、今日のデート、行けなくなっちゃったの。体調崩しちゃって、家で寝てます。とにかくつわりがひどくて……」
 ううむそうか、残念だけど、体調を崩したのなら仕方ないなあ。つわりだったら苦労するだろう。クロード・ツワリ、なんてね。ううむ、今ひとつか。

 などと落ち着いている場合ではない。つわりとはいったいどういうことだ。私は何もしていないぞ、まだ。手も足も出していないし、アレも出していないし、アレから出るアレも出していないのだ。こんなことがあってもいいのか。いったいどうすればいいのだ、おろおろ。

 などとあわてている場合ではない。もう今日のデートはなくなったのだから、あわてても無駄だ。これはやはり、またも私はフラれたということか? 彼女不在の歴史がまた一ページ。ううむ。
 というわけで、今日の予定は何もなくなってしまった。仕方ない、もう一眠りするか。
 そして私は再び眠りに就くのだった。




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