‥‥藤子・F・不二雄さんの訃報を聞きました。
そう、数々の名作漫画を世に送り出してきた、あの藤子さんです。
私も、『ドラえもん』『パーマン』『オバケのQ太郎』などに加え、『カンビュセスの籤』『みどりの守り神』などのSF短編を愛読していました。
今日は、本当は別のネタを書くつもりだったのですが、予定変更です。
藤子・F・不二雄さんへの追悼として、これを書かせていただきます。
ドラえもんがのび太の机の引き出しの中から姿を現して、すでに25年。
その間、『ドラえもん』は常に、子供漫画の頂点に立ち続けた。日本だけでなく、世界各国の子供たちから支持され続けている。その人気の秘密は、どこにあるのだろう。
いうまでもなく、ドラえもんの四次元ポケットから取り出される、数多くのアイテムがそのひとつだろう。
これらのアイテムは、「こんなこといいな、できたらいいな」という私たちの願望をかなえてくれる。現在の技術でも実現できそうなアイテムから、全くの夢物語に思えるようなアイテムまで。これらのアイテムは、私たちに科学技術の素晴らしさを教えてくれる。
しかし、それだけではない。この『ドラえもん』の根底に流れる思想、それは「どんなに素晴らしい科学技術も、諸刃の剣である。使う者の意志によって、良い効果も悪い効果もあらわれる」というものだろう。
現に、アイテムの多くは、のび太が、努力せずに楽をしようとか、第三者に害を及ぼすような使い方をした場合には、そのしっぺ返しを食らうようにできている。
アイテム自体の属性は、善でも悪でもない。それは、使う者の意志に支配されるのだ。だからこそ、私たちは、それらのアイテム(=科学技術)を、「正しく」使用せねばならない。
そして、何が「正しい」か、それは私たち自身が考えるべき問題である。
どうすれば自分が、そして他人が幸せになれるのか。
この単純で、根本的な問題への解答は、どれだけ科学技術が進歩しても、やはり私たち自身が見つけるしかないのだろう。
『ドラえもん』は、そのことを、世界の子供たちに訴え続けている。
20世紀は科学の世紀と呼ばれる。
その、20世紀最大の人気漫画が、『SF』であるのは、決して偶然ではないだろう。
そして、その作者が日本人であることも。
私たちに素晴らしい漫画を与えてくれた、藤子・F・不二雄さんの冥福を心よりお祈りします。