第46回   宇宙船進化論(後編) 1996.11.3


 私は考えはじめた。なんとか、対策をひねり出さねばなるまい‥‥。
 外見を元のように、機能美が感じられる姿に戻すことはできる。しかし、それでは事故率も元通りになってしまう。これでは、有人ワープ航行をおこなうことなどできない。
 あるいは、事故率を「少し」上げて、外見を「少し」まともな方向に近づけるか? ‥‥いや、事故率と外見の、最適な妥協点など見つけることはできないだろう。だいいち、「わざと事故率を上げる」ことなど、人道上許されないことだ。
 やはり、事故率は現状を維持し、しかも人間への悪影響を起こさないような対策が必要である。

 はじめに思いついた対策は、とんでもないものだった。
 宇宙船の外見が変えられないなら、人間の方を変えればよい。人間の『美意識』を支配する遺伝子を操作し、あのグロテスクな姿を「美しい」と考えるような人間を作り出す‥‥。もちろん、こんな対策を上司に進言するほど私は馬鹿ではない。頭の中で「却下」の印を押し、このアイデアは忘れることにした。

 やはり、あの姿が見えてしまうことが問題なのか?
 ならば、乗り込む際にあの姿を見ないようにすればよい、とも考えたが、この対策はすでに実施済だった。あの外見は、一度見ると忘れることはできない。蛙の姿をしていなくても、「蛙の肉です」と言われれば食べにくいのと同じことだ。

   では、外見の「見え方」を操作する、というのはどうだろう?
 あのグロテスクな姿の上に、ホログラムを使用して、機能美を持った優雅な宇宙船の姿を投影する。そうすれば‥‥いや、これも駄目だ。あの姿は、すでに全世界に報道されている。知らないものなど一人もいない。

 新たに機能美を持つ宇宙船を「作ったこと」にして、ホログラムをかぶせるか?
 おそらく、これも駄目だろう。今までの経緯は周知の事実である。安全性と機能美をいかに両立させたか質問されれば、答えることはできない。

 私は行き詰まっていた。やはり、通常空間に住むわれわれ人間が、ワープをすること自体に無理があったのだろうか。
 事故原因の究明をせず、宇宙船を『進化』させたことが問題だったのか‥‥。
 進化?
 そうだ、もともとこの計画は進化論をヒントにして考案されたものだ。ならば、解決のヒントも進化論にあるはずである。
 私は再び考えはじめた。
 ‥‥‥‥。
 ‥‥‥‥。

「対策がありました」
「なに? 本当か」
「はい。やはり、あのグロテスクな外見が問題なのです。機能美のある姿に、作りなおしましょう」
「しかし、それでは‥‥」
「大丈夫、機能美のある形態を取るのは、通常空間にいるときのみです。ワープ空間に入れば、あのグロテスクな姿にしてやればいい。そして、通常空間へ帰還したら、再び元の形態に戻せばいいのです。ワープ空間にいるのは、体感時間ではほんの一瞬ですから、グロテスクな外見になっても人間への影響は無視できるでしょう」
「宇宙船を変形させるわけか? そんなことができるのかね?」
「可能です。外見的にはまったく違う芋虫と蝶だって、同一の遺伝子を持っているわけですから。各遺伝子の発現のタイミングが違うだけです。宇宙船の設計パラメータを、遺伝子として管理してきた成果がここであらわれます」
「‥‥うむ、技術的にはいろいろと課題がありそうだが、いいだろう、その方針で行こう」

 こうして、宇宙船は進化をやり直すこととなった。
 宇宙船の遺伝子に蝶や蛾のような『完全変態』をおこなう昆虫の遺伝子パターンを抽出して盛り込み、再び自然淘汰にかける。技術的に大きな問題だった、「瞬間的に」形態を変化させねばならない、という点もなんとか解決し、宇宙船は再び進化を続けていく。

 そしてついに、有人宇宙船が完成した。
 その姿は、機能美というものをはるかに越えた、非常に優雅なものだった。
 形態的にはほとんど共通点はない。しかしその姿は、優美に飛翔する蝶を思わせるものだった。

 銀色の蝶が宇宙を舞い、有人ワープ航行の時代が始まる。

 <完>   


第45回へ / 第46回 / 第47回へ

 目次へ戻る