奈良県の法隆寺には五重の塔があります。
飛鳥時代の607年に建造されたもので、670年に一度焼失したのですが再建され、「現存する世界最古の木造建築の塔」とされています。
余談ですが、英語の説明文には「Five-story Pagota」と書かれています。storyに「(建物の)階、層」という意味があるのを、ここで知りました。
というわけで、今日は五重の塔について。
釈迦が亡くなったとき、その遺体は土の中に埋められ、土饅頭が築かれ、中央には卒塔婆(そとば)が立てられた。現在ではほとんど見られなくなったが、昔の日本ではよくおこなわれていた土葬の形式である。その卒塔婆の上端には、今の卒塔婆と同じように装飾的な模様が刻まれていた。
五重の塔というのは、このお釈迦様の卒塔婆を巨大化させ、建築と化したものである。
五重の塔の先端には、「水煙」と「九つの輪」からなる「相輪」と呼ばれるものが載っているが、これが卒塔婆の先端の装飾部分に当たる。この相輪の中には柱が支えとして差し込まれその柱は下まで一直線に伸びて基壇の心礎石の上に立っている。この心柱が卒塔婆の本体部分に当たる。そして、心礎石の中央にはくぼみがあり、そこに釈迦の遺骨である仏舎利が安置されている。
骨を埋め、その上に卒塔婆を立てるという形式が建築化して五重の塔が生まれたという歴史的事情は、きちんと五重の塔の中に刻み込まれているのだ。
これを考えると、五重になった屋根の意味がわかる。「五重の塔」とは言っても、「五重」には大した意味はなく、三重でも七重でも九重でもいい。卒塔婆の本体である心柱が風雨に当たって腐らないようにカバーしているのが屋根なのだから。
五重の塔は、「塔」とは言え、もともと天空をめざして立てられたものではなく、土の中の遺体の「目印」だった。
人々はこの目印の根本に大切なものが眠っているのを知り、手を合わせ、頭を垂れた。しかし、いつの間にか、「天空をめざす塔」へと変貌していったのだ。やはり、「見えないもの」より「見えるもの」、「地下をめざすもの」より「天空をめざすもの」の方が、人々の心を魅了するのだろう。世界各地に残る、そして、今も建造され続けている「天空をめざす塔」がそれを物語っている。
そして今では、五重の塔が卒塔婆であり、その下には死体が眠っていることを、人々は知らない。