「ご隠居さーん、いるかい? おーい、ご隠居さーん」
「なんだい、誰かと思えば熊さんじゃないか。いるかもいないかもないだろう。一間っきりの長屋なんだ、さっきからあんたの目の前にいるよ」
「おや、ご隠居、こんなところで会うとは奇遇ですなあ」
「何を言ってるんだい。で、今日は一体何の用だね?」
「そうそう、それなんですがね、あっしゃ、どうにもわからないことがあって、それでここはひとつ物知りのご隠居さんに教えてもらおうと思いまして‥‥へへへっ」
「うむ、それはいい心がけだ。きくは一時の恥、きかざるは志茂田景樹、というからなあ」
「ご隠居、せめて美川憲一にしてくださいよ」
「なんだ? 美川憲一のファンなのか? まあ、それはいいとして、何が聞きたいんだい?」
「へえ、実は『君が代』について、なんで‥‥」
「なんだ、そんなことか。いいか熊さん、『君が代』は国歌とされているが、これに反対する人もいてな、その根拠というのが‥‥」
「いや、ご隠居、国歌かどうかなんてのはどうでもいいんで。あっしが知りたいのは、歌詞の意味なんでさあ。いくら聞いても、ちんぷんかんぷんなもんで‥‥」
「そういうことか。うーむ、それはむずかしい‥‥」
「あっ、ひょっとして、ご隠居も知らないんで? へへっ、あっしとおんなじだね」
「ば、馬鹿を言っちゃあいけないよ。わたしは、お前にわかるように説明するのがむずかしい、と言ってるんだ。‥‥まあとにかく、『君が代』を歌ってごらん」
「へえ、では。
きみがよは〜ちよにやちよに〜さざれいしの〜いわおとなりて〜こけのむすまで〜」
「こら、なんでセーラームーンのフシで歌うんだい」
「おっ、ご隠居、よくご存じで。ひょっとしてファンですかい?」
「孫がよく見てるんだよ、孫が。わたしがファンのわけないじゃないか。キューティーハニーならともかく‥‥うっ、オホン、歌の意味だったな。そうだな、まず‥‥熊さん、この『さざれいし』というのは、なんだと思う?」
「わかりませんや。わからないから聞いてるんでしょうが」
「まあそう言わず、考えてごらん」
「うーむ、そうですねえ‥‥サザエさんの髪型をした石の人形のことですかい?」
「そう思うのが素人のあさはかさ‥‥」
「ひでえやご隠居、ご隠居が考えろって言ったから考えたんじゃないですか」
「ははは、すまん、実はな熊さん、『さざれいし』というのは相撲取りの名前だ」
「えっ、そうなんですかい? 相撲取りの名前といえば、普通は山とか川とか海とか島とかが付くんじゃないんですか?」
「いたんだよ、さざれ石という相撲取りが。信用しなさい」
「はあ、まあ、信用しますがね‥‥で、その相撲取りがどうしました?」
「うむ、このさざれ石は、相撲は強かったが内気な男でなあ、女性としゃべるのが苦手だった。そんなさざれ石が、千代という芸者に惚れてしまったのじゃ」
「へえ、それで?」
「内気な男だから、自分の気持ちをうまく伝えることができなんだ。で、結局さざれ石は千代にふられてしまったんじゃ」
「かわいそうにねえ‥‥」
「で、さざれ石は次に千代の妹の八千代に惚れたのだが、八千代にもふられてしまった」
「踏んだり蹴ったりですねえ」
「すっかり気落ちしたさざれ石は‥‥」
「八千代の妹の宮千代に惚れましたかい?」
「まぜっかえすんじゃないよ。そうでなくても話が長引いているというのに‥‥。すっかり気落ちしたさざれ石は、世をはかなんで、古井戸に身投げしてしまったのじゃ」
「ひえっ、自殺ですかい」
「ところが、この古井戸が実は‥‥」
「ものすごく古いど!」
「まぜっかえすんじゃないというのに。この古井戸が実は枯れ井戸で、水がなかったわけだ」
「スコップで掘ったら水も出てくるんじゃないんですかい? 枯れ井戸スコップ」
「まぜっかえすなというのに。妙なところで物知りだな、熊さんは‥‥。まあ、とにかく、さざれ石の話だ。まっ逆さまにその井戸に落ちていったが、水はなく、岩が転がるばかり。その岩に頭をぶつけて、音がしたわけじゃな。つまり、『いわおとなりて』というわけじゃ」
「‥‥岩音鳴りて、ですかい? どうもあやしいなあ」
「信用しなさい」
「へえ、で、それからどうなりました?」
「世間は冷たいもんだ、みんな、さざれ石を馬鹿にしてなあ。虚仮にしたわけじゃ。だから誰も、さざれ石の遺体を引き上げようとしなかった。季節は夏、哀れさざれ石は、蒸し風呂のような井戸のそこで腐っていった。つまり、『こけのむすまで』というわけじゃ」
「虚仮の蒸すまで、というわけですかい、なるほどねえ」
「どうじゃ、これでわかっただろう。『千代に八千代にさざれ石の岩音鳴りて虚仮の蒸すまで』ということじゃ」
「え? ご隠居、『きみがよは』のところはどうなったんで?」
「そんな細かいところは気にしなくてよろしい」
「細かいってこたあないでしょうが。重要なところですぜ」
「うーむ、それはだなあ‥‥」
「ご隠居、教えてくださいよ」
「実はだなあ、『きみがよ』というのは、あとでよく調べてみると、さざれ石の本名だった」