第136回   川の流れのように 1997.5.25


5がつ25にち

 きょう、ぼくは川でおぼれかけました。
 さかなをとってあそんでいたら、あしがすべったのです。
 川の水がはなからはいってきて、とてもくるしかったです。
 死ぬかとおもったのですが、だれかがたすけてくれました。それは、しらないおにいさんでした。
 そのおにいさんは、ぼくになまえをききました。
 ぼくがこたえると、おにいさんはぼくのあたまをなでて、わらいながらいってしまいました。


25th, May

 高校の帰り、川べりを歩いていると悲鳴が聞こえた。見ると、子供が溺れている。
 あたりには、俺の他に誰もいない。俺は、少しためらったが、結局川へ飛び込んでいた。
 子供を助けて引き上げる。少し水を飲んでいるようだが、命には別状ないようだ。
 息を切らしているその子供を見て、俺は奇妙に思った。どこかで見たことのある顔だ。一体、どこで……そのとき、俺は、子供の頃のことを思い出した。
 昔俺は、この川で溺れたことがある。そのとき俺を助けてくれたのは、ちょうど今の俺くらいの少年だった。俺は、ふと思いついて、その子供に聞いてみた。
「ぼうず、名前は?」
「ぼくは‥‥」
 その子供が答えたのは、俺の名前だった。見覚えのあるのも当然だ。なにしろ、俺自身なんだからな。そう考えたら、笑いがこみ上げてきた。俺は、その子供の頭をなでると、笑いながら立ち去った。


5月25日

 病院にいる妻を見舞った帰り道、私は川縁を歩いていた。
 突然、水音と子供の悲鳴のようなものが聞こえ、私は驚いて川の方を見た。川の流れに呑まれ、子供が溺れていた。助けなければ、と思う間もなく、もうひとつ水音が聞こえる。誰かが飛び込んだようだ。見ると、高校生くらいの少年である。
 すぐにわかった。溺れている子供と、助けに飛び込んだ少年。あれは、二人とも、私だ。奇妙な非現実感にとらわれながら、私はその二人を見つめていた。
 しかし、様子がおかしい。なかなか川から上がってこない。助けに飛び込んだ少年の方も溺れているようだ。私はあたりを見回した。人影はない。意を決して、川に入る。なにしろ、あれは私なのだ。何とかして助けなければならない。
 私はその二人の方に泳いでいった。しかし、日頃の運動不足がたたったのか、すぐに苦しくなってきた。なかなかたどりつけない。
 そのとき、私の右足がつった。痛みで泳いでいられない。流れに飲み込まれ、意識が薄れていく。

 気がついたとき、私は川辺に寝ていた。高校生くらいの見知らぬ少年が、私を見おろしている。その少年の服も濡れていた。
「気がついたかい、おじさん。まだ泳ぐにはちょっと季節が早いぜ」
「‥‥君が助けてくれたのか。ありがとう。‥‥そうだ、あの二人は?」
「あの二人?」
「私と一緒に溺れていた、子供と少年だよ」
「いや、溺れていたのはおじさん一人だぜ。この季節に水泳する物好きが、そう何人もいるかい」
「‥‥そうか」
「じゃあな、気をつけなよ、おじさん」
「あ、待ってくれ。君の名前を教えてくれないか?」
「おれかい? おれは‥‥」
 その少年は名乗った。それは、つい先日生まれた私の息子につけた名前だった。


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