第144回   寂しい食事 1997.7.16


 発作的に自炊をしてみようと思ったのである。
 流しの下の戸を開けると、あきたこまちの2キロ入りの袋があった。いつ買ったものか判然としないが、まあいいだろう。ほこりをかぶっていた炊飯器を洗い、飯を炊くことにした。
 飯は、驚くほど簡単に炊きあがった。炊飯器のスイッチを入れただけだから当然であるが。

 さて食事をしようか、と思ったとき、私は愕然とした。おかずがないのだ。あわてて台所へ行き、冷蔵庫を開ける。中に入っているのは、ビール・日本酒・ウーロン茶・コーヒー。ドレッシング・マヨネーズ・マーガリン。練り辛子・チャツネ・辛子酢味噌。そしてノンスメル。これではおかずにならない。さらに奥の方を見ると、カニがあった。しめた、カニならおかずになる、と思ったが、なにやらケーブルが巻き付いていて不気味である。これはひょっとしてケーブルガニか? ‥‥いや、よく見たらブーケガルニだった。やはりおかずにはならない。
 冷凍庫も開けてみたが、食パンと氷ノンスメルしか入っていない。さすがに食パンをおかずにご飯を食べるわけにはいかないだろう。ご飯をおかずに食パンを食べたことならあるが、あれはむなしかった。

 などと感慨にふけっている場合ではない。おかずを探さねばならないのだ。次に私は、祈る思いで冷蔵庫の左にある水屋を開けてみた。水屋左の旦那様、という心境である。
 中にあったのは、醤油・ソース・塩・胡椒・カレー粉・七味唐辛子・タバスコ。なんだか辛いものばかりだ。いずれにせよ、おかずはなかった。これは、買いに行かねばならないのか?
 時計を見る。8時前だ。早く行かないとスーパーが閉まってしまう。私はあわてて飛び出した。

 スーパーへの道を歩きながらこう考えた。智に働けば角が立つ‥‥ではなくて、おかずは何がいいだろうか、である。春は揚げ物、というが、今は夏だ。この暑いのに揚げ物など食べる気はしない。そうだ、刺身がいい。
 ところが、のんびり歩いていたせいだろうか、到着したときにはスーパーのシャッターが閉まりかけていたのだ。あわててダッシュして滑り込んだが、シャッターは容赦なく閉まった。おかずが買えなかったのだ。

 私は、とぼとぼと家路についた。肩を落として歩いていると、どこからか声が聞こえる。
「刺身〜、刺身はいらんか〜。ガリ〜、ガリはいらんか〜」
 これは天の助けか。私は声の方へ駆け出した。しかし、声は移動していて、どうやら屋台のようである。
 その売り声はどことなく寂しげだ。今にも泣きそうに屋台を引いているのだろうか。つまり、街のどこかに〜刺身ガリ屋がひとり〜、ということだ。
 しばらく探し回って、ようやく刺身ガリ屋を発見した。引いている屋台には、刺身とガリしか置いていない。こんなので商売になるのだろうか、という疑問はおいといて、刺身を買った。よかった。これで食事ができる。

 なんとかおかずを買った私は、歌いながら帰宅した。もちろん、中島みゆきの歌である。
「刺身買った、刺身買った、メシの続きを始めましょ〜」


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