第149回   ドイツの歩き方 1997.8.19


 盆休みを利用して、私はドイツを訪れた。言うまでもないが、目的地はボンである。
 ボンへ行く道中にもいろいろと面白いことがあったのだが、それらはすべて省略して、ボンへ到着したところから話ははじまる。

 ボンは、意外なほど小さな街だった。
 たしかに、中心部にはビルがそびえているが、ちょっとはずれると農家が目立つようになる。人通りも多くはない。しかしさすがはドイツ、道行く人はみんなドイツ語でしゃべっている。それらの人々の会話を聞くとはなしに聞いていると、こんなダジャレが耳に入ってきた。なお、読者の便宜を考えて日本語に翻訳してある。

「この帽子、ドイツんだ?」
「オランダ」

 やはり、日本語に訳してしまうと細かいニュアンスが伝わらないようだ。ドイツ語で聞いたときはもっと面白かったのに、残念である。ならば、日本語にしても面白いダジャレを探そう。私は耳をすませながらボンの街を歩き回った。

「アイン・シュタイン・タンジェント」

 これはわかりやすい。しかし、今一つひねりが足りないようだ。私はさらにダジャレを求めてさまよった。すでに、本来の目的はすっかり忘れている。

 ふと気がつくと、私は見知らぬ街角に立っていた。ボンに来るのは初めてなのだから見知らぬのは当たり前だが、どうやら道に迷ってしまったようだ。だが、私はあわてなかった。こんなこともあろうかと、ちゃんとガイドブックを持ってきたのだ。昭和十四年発行の『獨逸ノ歩キ方』である。これさえあれば、何の心配もいらない。
 ガイドブックをぱらぱらとながめていると、興味深いことが書いてあった。日本大使館には、私のような迷子の世話を極秘に引き受ける秘密組織があるらしい。暗号名は「ヤマタノオロチ」。なるほど、この組織を探せばいいわけだ。
 私はヤマタノオロチを探しはじめた。こんな歌をうたいながら。
「迷子の迷子のコネクション、ヤマタノオロチはどこですか〜」

 しかし、ヤマタノオロチはなかなか見つからなかった。よく考えてみれば、そんな秘密組織を探すよりもその辺の人に道を聞いた方がはやいようだ。私はさっそく、その辺の人をつかまえてガイドブックに載っている地図を見せながら質問した。なお、以下の会話は、読者の便宜を考えて日本語に翻訳してある。
「スイマセーン、チョットイイデスカァ?」
 その辺の人は一目散に逃げていった。どうやら宗教の勧誘だと勘違いされたらしい。今度はひらがなで話しかけてみよう。さっそく、次のその辺の人をつかまえる。
「ここはどこ? 私は誰?」
 ……また逃げられた。どうやら、「私は誰?」が余計だったようだ。
 そして、3番目のその辺の人。今度はうまくいった。
「すいません、道に迷ってしまったんですが」
 そう言いながらガイドブックの地図を見せる。
「どれどれ……ん? なんだこの地図は? おかしくないか?」
 地図がおかしい? そんなはずはないのだが。私は、もう一度地図をチェックしてみた。よく見てみると、たしかにおかしなところがある。発見されていないはずの南極大陸が描かれているのだ。
 それだけではない。ドイツとポーランドの国境線が、ずいぶんと西に寄っていて、ボンのすぐ東まで来ている。これでは、フランクフルトやブレーメンまでポーランド領になってしまうではないか。困った。困ったので、思わず困り歌を口ずさんでしまった。
「ボンから先ゃポーランド〜」
 もちろんこれは、五木の困り歌だ。

 そんなこんなで、私のドイツ旅行はさんざんなものだった。悔いの残る旅行だ。帰国するルフトハンザの機上で、つい涙が流れてしまう。
 私は泣いています〜ジェットの上で〜、というやつである。


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