第153回   会社の七不思議 1997.9.15




「補陀落通信」を書き始めて、今日でちょうど一年である。
 一周年企画として何かやろうかと思ったのだが、何も考えつかなかったのでとりあえずタイトルロゴだけ変えてみた。なお、このタイトルロゴは電悩痴帯のふじたさんに作成していただいたものである。そういうわけなので、今日のネタはふじたさんに捧げよう。


 会社というのは、怪談の宝庫だ。どこの会社にも、七不思議と言われるものがあるだろう。今日は、私の会社の七不思議を紹介しよう。もしかすると、あなたの会社にも似たような話があるかもしれない……。


その1 鏡の中

 旧館の西北端に、あまり利用されていない階段がある。窓もなく、陰気な階段だ。
 その階段の、2階と3階の間の踊り場には、2メートル近い大きな鏡が取り付けられていた。
 いつから囁かれたかは定かではないが、この鏡には不気味な噂があった。深夜の12時、一人でこの鏡の前に立つと、背後に若い男の姿が映るという。その男は、先輩のイジメに耐えきれずに自殺した新入社員の霊だと言われている。
 先日私は、珍しく深夜まで残業をしていた。11時を過ぎても仕事は片づく様子はない。泊まり込みを覚悟し、休憩を取ろうとして近所のコンビニへ夜食を買いに行った帰りのこと、私は普段は使わない例の階段を通った。裏門から私のデスクへは、ここを通るのが近道なのだ。
 階段を登り始めて、私は鏡の噂を思い出した。腕時計を見ると、11時58分。ちょうどいい機会だ、噂の真偽を確かめてやろう。私は腕時計を見ながら、ゆっくりと階段を登っていった。
 そして、12時ちょうど。私は鏡の前に立っていた。鏡には、一人の男の姿が映っている。若くて背が高い、ハンサムな男だ。私が手を上げると、その男も手を上げる。……なんだ、自分が映っているだけか。やはり、単なる噂だったのだ。
 私はデスクに戻って仕事を続けた。
 仕事はなかなかはかどらなかったが、午前3時を過ぎた頃、眠気に耐えられなくなり仮眠を取ることにした。2時間ぐらいのはずだったが起きたのは8時前だった。やれやれ、今日もまた遅くなりそうだ……私はまた、近所のコンビニへ朝食を買いに行った。
 その帰り、再び例の階段を登った。踊り場を通った私は首をかしげた。鏡がない。昨夜は確かにあったはずなのに……。
 私が踊り場に立ち尽くしていると、総務の川口が通りかかった。出勤してきたところらしい。私は川口に、ここにあった鏡はどうしたのか尋ねた。川口は答えた。
「鏡? そこにあった鏡は、ひびがはいったので取り外したきりになってますよ。ええ、もうだいぶ前……3年くらい前のことですが」


その2 トイレの太郎さん

 旧館2階の男子便所、その一番奥の個室には、「太郎さん」という幽霊が出ると言われている。噂によるとその男は、先輩のイジメに耐えきれずに自殺した新入社員の霊だということだ。
 この「太郎さん」を目撃した者は多い。しかし奇妙なことに、その姿は証言者によって違うのだ。ある者は背広を着てネクタイを締めていたと言い、ある者はGパンにTシャツだったと言い、ある者はパンツ一枚の姿だったと言う。ある者は痩せて背が高かったと言い、ある者は相撲取りのように太っていたと言う。
 なぜこんなに証言が食い違うのか? 「太郎さん」の真の姿を確かめるべく、私はある夜、問題のトイレへと向かった。
 照明は薄暗い。一番奥の個室のドアだけが閉じている。その個室の前に立つと、私はおそるおそるノックした。中から陰気な声が響く。
「どうぞ〜」
 私は思いきってドアを開けた。その中には、想像を絶する光景があった。
 背広を着た男、Gパンをはいた男、痩せた男、太った男……何人もの男が、狭い個室の中で押し合いへし合いしていた。人数を数えてみる。一人、二人……どうやら、十人いるようだ。なるほど、十人トイレ、ということか。


その3 燕の巣

 通用門の軒先に、かなり昔から燕の巣がある。私が入社したときにはすでにあったから、10年以上はたっているだろう。
 この巣には、毎年燕がやってくる。雛がさえずる声が聞こえ、親燕がひっきりなしに餌を運ぶ姿も見える。しかし、奇妙なことに、雛が巣立つ姿を見た者は誰もいないのだ。気付いたときには、巣は空になっている。
 今年も、燕はやってきた。しばらくして雛が産まれたらしく、けたたましいさえずりが聞こえるようになった。
 そんなある日の昼休み、私の同僚の田端が脚立を持ち出してきた。聞くと、例の燕の巣の中を確かめるのだと言う。数人が見守る中、田端は脚立に登ると巣の中をのぞき込んだ。声も出さず、じっとしている。
 田端は黙って降りてきた。青い顔をしている。何を聞いても答えない。そのまま田端は脚立をかかえて戻っていった。
 翌日から田端は会社に出てこなくなった。2週間ほどたった頃、田端が会社を辞めた、という話を聞いた。
 今年も、燕の姿はいつの間にか消えていた。もう誰も、巣の中をのぞこうとはしない。


その4 落ちる女

 新館3階北側の窓。小雨の降る夜には、この窓から「落ちる女」が見えるという。噂によるとその女は、先輩のイジメに耐えきれずに自殺した新入社員の霊だということだ。
 屋上から飛び降り自殺したのは十年前。それ以来、何度となくこの女の幽霊は「落ち続けて」きたらしい。
 その日、私は珍しく残業をしていた。外は雨。フロアはすでに人影もまばらである。私のデスクの横には、「落ちる女」が見えると言われている窓があった。
 そして、たまたまパソコンのディスプレイから目を離して窓の外を眺めたとき……私は見てしまった。「落ちる女」だ。同時に悲鳴と、何かが地面に落ちたような音がする。私はあわてて、近くにいた同僚の堀江に声をかけた。
「ああ、落ちる女だろ? 放っておけよ、別に害があるわけじゃなし」
 堀江はそう言うが、私は初めて見るのだ。気になったので、窓を開けて下を見る。……さっきの幽霊は、地面に倒れていた。なるほど、落ちて消え失せるのではなく、落ちたあとまで再現してくれるのか。面白そうなので見に行こうと、私は階段へと走った。
 倒れている幽霊は、どこかで見たことがある顔をしていた。血まみれの腕がかすかに動いている。駆け寄ると、その女は消えそうな声で言った。
「たす……けて……たす……け……」
 とても幽霊には見えない。すごいリアリティーだ。さらにその幽霊は助けを呼んでいたが、しばらくして動かなくなった。なるほど、こういう風に死んだわけか。なかなか興味深いものを見せてもらった。
 そして翌朝。幽霊は、まだその場所にいた。もちろん、ぴくりとも動かない。通勤してきた社員たちも、何事もなかったかのようにその横を通り過ぎる。みんな幽霊だと知っているようだ。
 翌日も、その翌日も、幽霊はいた。だんだんと腐敗が進行しているような感じで、異臭もする。ずいぶん芸の細かい幽霊だ。
 その後もずっと、幽霊はそこにいた。半年ほどたった今は、ほとんど骨だけになっている。それにしても、いつまでいるつもりなのだろう。もうみんな、飽きてるんだけど。


その5 桜の木の下に

 (会社上層部からの命令により、全文削除)


その6 ゴミ箱に潜むもの

 社員食堂の横に、コンビニもどきの店ができたのはつい最近のことだ。だから、この噂も新しい。私が聞いたのは数日前だ。
 その店の前に、大きなゴミ箱がある。燃えるゴミ用と燃えないゴミ用の二つだ。このゴミ箱に、得体の知れない怪物が潜んでいる、というのだ。
 夕方、私は缶コーヒーを買って店の前で飲んでいた。同じように、店の前にたむろしている社員が数人。その中の一人の男が、空になったコーラの缶をゴミ箱に向けて投げた。話に夢中になっているらしく、ろくにゴミ箱の方を見もしない。案の定、その缶は燃えるゴミ用の方に落ちていった。
 その瞬間。ものすごい勢いで、燃えないゴミ用のゴミ箱から、毛むくじゃらの手が出てきた。猿の手のように見えたが、指は四本しかない。その手は、燃えないゴミ用のゴミ箱に落ちる寸前の缶をしっかりとつかむと、燃えないゴミ用のゴミ箱の中に引っ込んだ。
 驚いてあたりを見回すが、目撃者は私だけのようだ。なるほど、こういう怪物だったのか。
 もう一度試してみよう。私は、飲み終わったコーヒーの缶を持って、ゴミ箱に近づいていった。燃えるゴミ用の方に、缶を投げ込む。
 やはり、毛むくじゃらの手が出てきた。私の投げた缶をつかむと、燃えないゴミ用のゴミ箱の中に消えていく。しかし、さっきとはちょっと違っていた。その手は引っ込む前に、私の頭を一発殴っていったのだ。
「す、すいませんでした」
 私は思わず、ゴミ箱に向かって頭を下げていた。


その7 弔いの席

 私の課の庶務担当の女性が自殺したのは初夏のことである。自宅のバスルームで、自らの頚動脈を剃刀で切ったのだ。彼女はこの春に入社したばかりで、噂では先輩のイジメに耐えきれずに自殺したのだという。
 彼女がいなくなると課の業務に支障をきたすわけだが、そう簡単に正社員が補充できるわけではない。とりあえずの手段として、人材派遣会社から女性を一人派遣してもらうことにした。
 数日して、その女性……塩崎さんがやって来た。塩崎さんの席は、もちろん、自殺した彼女の席である。デスクの上に供えてあった花は片付けられている。無用な不安を与えることもあるまいと、前任者が自殺したことは塩崎さんには教えていなかった。
 塩崎さんは、明るくて元気がよく、仕事もよくできた。社員たちともすぐに仲良くなった。その塩崎さんの様子がおかしくなったのは、来てから半月ほどたってからである。
 ある日の昼休み。塩崎さんは食堂から戻ると自分の席に座り、鞄から赤い毛糸を取り出して一心不乱に編み物を始めた。編み物が趣味とは聞いていなかったので少し意外だったが、まあ、恋人へのプレゼントでも編んでいるのだろうと思っていた。
 しかし、それから段々とおかしくなってきたのだ。昼休みだけでなく、勤務時間になっても編み物を続けている。何かに取り憑かれたように、一心不乱に編み針を動かしているのだ。彼女が赤い毛糸で編んでいるものは、次第に長くなっていった。
 私は、意を決して塩崎さんに何を編んでいるのか聞いてみた。塩崎さんは、私の方を見もせずに答えた。
「はい、マフラーを編んでいるんです」
 この季節にマフラー? そう思ったが、それを口に出すことはできなかった。塩崎さんが、続けてこう言ったからだ。
「……このマフラーをつけていれば、傷口が隠せるでしょう?」


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