第155回   頭がいいって? 1997.9.30




「ご隠居さーん、いるかい? おーい、ご隠居さーん」
「なんだい、誰かと思えば熊さんじゃないか。いるかもいないかもないだろう。一間っきりの長屋なんだ、さっきからあんたの目の前にいるよ」
「おや、ご隠居、こんなところで会うとは奇遇ですなあ」
「何を言ってるんだい。で、今日は一体何の用だね」
「へえ。ちょっくら聞きたいんですがね、一番頭のいい動物ってのは何だろうねえ」
「なんだい、薮から棒に。頭のいい動物って、そりゃあ人間に決まってるじゃないか」
「そうかなあ……。うちで飼ってるポチなんか、ずいぶん頭がいいんだけど。なにしろ、『327引く326は?』『王を中国語で何と読む?』なんて問題にすらすら答えるんだから」
「おいおい、そのネタは前回使ったばかりだろうが。せめて、もう少しほとぼりがさめてからにしなさい」
「こりゃどうも、すいやせん。……しかし、頭がいいってのはホントなんだ。何しろ、川向こうまで散歩に行っても、ちゃあんと家まで帰って来るんだから」
「なるほど。でも、いくら頭がいいといっても、人間にはかなわないだろう」
「そんなことねえんで。あっしなんか、うちから二丁も離れちまうと、もう道に迷ってしまって……こないだも、ポチに助けてもらったんです」
「情けない男だねえ、どうも……」
「やっぱし、犬よりも人間の方が頭がいいんですかい?」
「そりゃあもちろんだよ。だいたい、脳味噌の重さを比べてみればわかる」
「へええ、そうなんですか?」
「うむ、頭のよさは脳味噌の重さに比例する、とゲーテも言っておるぞ」
「あのゲーテが言ってるんですかい? それなら確かだ」
「ほう、ゲーテを知っているとは感心だ」
「いや、自慢じゃないが全然知らねえ」
「……やれやれ、そんなことだと思ったよ。いいかい、犬の脳味噌っては平均150グラムくらいだ。それに対し、人間は平均1300グラムくらいある。つまり、ざっと8倍は頭がいいってことだな」
「なるほどねえ……確かにポチは小さいから脳味噌も軽いだろうけど……。ん? ちょっくら待ってくださいよ。ひょっとして、象や鯨の方が人間より脳味噌が重いんじゃねえかい? 象の方が頭がいいのかなあ」
「うっ、そうか、それは考えなかった。……いいかい熊さん、頭のよさは脳味噌の重さではわからない」
「なんでえなんでえ、さっきと言うことが違うじゃねえか」
「さっきのは、ちょっと間違えたんだよ。重要なのは、脳味噌の重さ自体ではなくて、体重と脳味噌の重さの比率だ、とパスカルも言ってるぞ」
「あのパスカルが言ってるんですかい? それなら確かだ」
「熊さん、また知りもしないで言ってるね」
「パスカルくらい知ってらあ。有名なアライグマでしょ? きっと、脳味噌が重かったんだろうなあ」
「……やれやれ、そんなことだと思ったよ。いいかい、体重と脳味噌の重さの比率を考えれば、すべての動物の中で人間が一番頭がいいってことになるんだ。わかったかい?」
「ははあ……体重との比率ですか……すると、うちのかかあなんざ、頭の大きさはあっしと一緒なのに体重は半分くらいしかないから、あっしの倍は頭がいいってことになるねえ」
「うむ、そういうことになるかな」
「ご隠居の娘さんなんざ、あんなにまるまると太って……頭、悪そうだねえ」
「いやなことを言うんじゃないよ。……いいかい熊さん、頭のよさは体重と脳味噌の重さの比率ではわからない」
「なんでえなんでえ、また言うことが変わるのかい! なんだか混乱してきた。ああっ、頭に虫がわきそうだ」
「気をつけなさいよ、熊さん。脳味噌を虫に喰われると、重さが減るぞ」
「それなら大丈夫。虫に喰われないように、大脳のとなりにショウノウを置いてあります」


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