第171回 呼び込まれた男 1998.2.24
「社長、社長! ちょっと寄って行くあるよ」
ほら社長、呼んでるぞ。
「社長! あなたあるよ、あなた」
返事してやれよ、社長。
「きょろきょろしても他に誰もいないあるよ。あなたのことある」
む。そうか、私のことだったのか。しかし私は社長ではないぞ。もちろん車掌でもない。なぜなら、君が運転手ではないからだ。などと考えながら、声のした方を振り返った。
ここは大阪、十三の駅前商店街である。日曜日の昼下がり、私はあるイベントに参加した後、阪急十三駅に向かって歩いていた。このイベントというのは、決して怪しい集会では……いや、ちょっと怪しいかもしれないが、それは本題とは関係ないので適当にごまかすとして、とにかく商店街で客引きに声をかけられたのだ。
客引きは中国人の親父だった。『イーハトーボ』という名前の料理屋の前に立っている。この名前からすると、雨にも負けず風にも負けず呼び込みをしているようだ。まさか、味噌と米と少しの野菜しか出ないんじゃないだろうな。……ん? この親父の顔、どこかで見たことがあるぞ。
「親父さん、どこかでお会いしましたっけ?」
「アイヤー、私をナンパしようとしてもダメあるよ。私にだって選ぶ権利くらいあるある」
ええい、選ぶ権利くらい、私にだってあるわい! と叫んだら思い出した。
「親父さん、あんた、陳さんでは? みや千代日記に出ていたと思ったけど」
「アイヤー、みや千代日記に出ていたのは生き別れの兄あるよ。そうか、あなた、みやちょさんの友達あるか。ならば、安くしておくあるよ」
別に友達ではないのだが、陳さんの弟なら少しは縁があるだろう。袖振り合うも多少の縁ということだし、食べていくとするか。
「それを言うなら他生の縁あるよ」
……黙っときゃ誰も気付かないのに。
「お客さん、なに食べるあるか? 中国人、四本足のものはこたつ以外なんでも食べるある。どんな注文にもこたえるあるよ」
さて、どうしよう? 何かおすすめの料理はないのか?
「だったら、クジラにするある。ちょうど新鮮なクジラが手に入ったところあるよ。養殖じゃなくて、天然でんねん」
都合のいいところだけ大阪弁になるなあ。しかし、クジラはたいてい天然だと思うが。
「南氷洋で人喰いクジラと恐れられた大物を、私が片足を喰われながらもしとめたあるよ。胃袋の中からは、なんと、爺さんと木の人形と番場蛮の父親が出てきたある」
人喰いクジラってのは、あんまりぞっとしないぞ。他に何かないのか?
「では、イルカはどうあるか? ああ大丈夫、人喰いイルカじゃないある。やっぱり、空腹にはイルカが一番あるよ。腹が減ってはイルカも食べる、ある」
ううむ。そういうことをすると、また誰かから「かわいいイルカさんをいぢめるんじゃない!」と怒られるからなあ。もっと、かわいくないやつがいいな。
「では、アシカにするある。焼き鳥にするとうまいあるよ」
鳥じゃないぞ、鳥じゃ。
「焼き鳥なら、やっぱりシオじゃなくてタレある。もしもアシカが〜タレならば〜」
それを言いたいがためにわざわざ焼き鳥なんて話を持ってきたのか。あざといやつめ。
しかし、アシカもけっこうかわいいからなあ。
「では、シャチにするある。運のいいことに……」
ここにシャチあり、か?
「…………やっぱりシャチはやめるある」
おいおい、ボケが読まれたらやめるのか。
「お客さん、早く決めるある。中国人、四本足のものはこたつ以外なんでも食べるあるよ」
と言うけど、さっきから四本足のものは全然出てこないじゃないか。
「うーむ、仕方ないある。では、とっておきを出すあるよ。四本足のニワトリある」
……それ、ヤバくないか?
「ここだけの話あるが、このニワトリ、もも肉を倍取るために遺伝子操作で作り出された新種あるよ。NASAが極秘プロジェクトで開発したのを、華僑ルートで裏から横流ししてもらったある」
あまり食べたくないなあ。大丈夫なのか? それ。
「大丈夫、今度はちゃんと料理するある。こないだの晩は食中毒出して、大変だったあるよ。死人が四人も出て、ついでだからこの店で通夜までやってあげたある」
なるほど、オチが読めたぞ。死んだ食堂の夜、というところか。
「違うある。弔問の多い料理店、あるよ」
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