第172回 いとしのストーカー 1998.3.2
尾行されている。
先ほどから私のあとを、つかず離れず追ってくるのはハイヒールの足音だ。
駅からの帰り道、公園沿いの寂しい道。街灯の間隔もまばらである。
その街灯の下で立ち止まり、素早く振り返る。しかし、道には熊の子一匹いない。
気のせいだったのか? 私は公園の木々を見た。かすかな風で枝が揺れているが、特に変わったところはない。妖精の姿など見えなかった。ではやはり、木の精ではなかったのだ。
すると、空耳か? 私は空を見上げた。下弦の月が輝くばかりで、どこにも耳など浮かんでいない。ではやはり、空耳でもなかったのだ。
誰かが私を尾行していることは確かだ。ひょっとして、これが、いま流行のストーカーとかいうやつか?
心当たりは、ある。ありすぎるほどだ。人の神経を逆撫でするようなギャグばかり書いていると、抗議のメールをもらうことなど日常茶飯事である。
天皇をネタにしたときは、右翼からメール爆弾が来た。爆弾の画像を添付したメールである。怖かった。
某作家の作品のパロディーを書いたときは、その作家のファンから剃刀メールが来た。剃刀の画像を添付したメールである。恐ろしかった。
知り合いの某女性を掲示板でネタにしたときは、その女性のファンクラブ会員を名乗る男からウイルスメールが来た。ウイルスの画像を添付したメールである。恐怖に打ち震えた。
イルカをいじめるネタを書いたときは、イルカフェチの女性からポストペットメールが来た。これは、ちょっと可愛かった。
こいつらのうちの誰かが、私の住所を探り出してストーキングを始めたのだろうか。しかし、こんな迫害に屈するわけにはいかない。言論の自由を守るためにも、私は戦う。ストーカーなどには負けられないのだ。
しかしはたして、私一人でストーカーに勝てるだろうか? 相手は女性らしいので素手ならばなんとかなるかもしれない……これもあまり自信はないなあ。最近運動不足だし。相手が武器でも持っていたら、なおさら勝てないだろう。どんな武器を持っているか知れたものではない。刃物かもしれないし、銃かもしれない。ナタからガンまでストーキング・武器〜、ということだ。
そこで、一人ではちょっと心許ないので、応援を頼むことにした。友人の須藤薫という男で、柔道剣道空手そろばん合わせて三十三段と三分の一という猛者である。
翌日、私はいつもどおり駅からの道を歩いていた。相変わらず、ハイヒールの足音がついてくる。だが、今日は安心である。ボディーガードの須藤が、私のことを見守ってくれているはずだ。
ストーカーに尾行されながらも、私は家にたどり着いた。玄関で靴を脱ぐと、明かりもつけずに奥へ走った。居間を抜けて裏にまわり、窓を開ける。足音を殺しながら、須藤が駆け寄ってくる。私はささやくような声で、須藤薫に聞いた。
「ストーカー、おる?」
須藤は黙って指さした。その先には女がいた。暗がりの中、思い詰めたような顔つきで立っている。髪の長い、なかなかの美人である。こんな美人になら、つきまとわれてもいいかもしれない。
次の日もそのストーカーはあらわれた。そろそろこちらから声をかけてみようか、と思ったが、その日が最後だった。翌日からはストーカーは姿を消してしまったのだ。三日間つきまとっただけで、もう飽きてしまったのだろうか。残念である。
まあ、仕方がないかもしれない。美人は三日で飽きる、というからなあ。
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