第175回   傘がない  1998.3.22




 やられた。
 午後から雨になるだろうとの天気予報を聞いて傘を持って家を出、会社の玄関にある傘立てに無造作に突っ込んでフロアに上がって仕事をしていたわけだが、予想通り昼過ぎから雨が降り始め、定時を過ぎてからもそろそろ帰ろうかと思いつつだらだらとネットに繋いで掲示板やチャット巡りなどをして気がついたらすでに七時、あわててデスクを片付けて玄関に降りてみると、傘がなかった。
 盗まれたのか、誰かが間違えて持って行ったのか。このままでは雨に濡れて帰るしかないが、それはイヤだ。
 傘は天下の回り物とも、右の傘を盗まれたら左の傘を盗み返せともいう。こうなれば、私も他人の傘をこっそり使ってやろうか、いやしかしそれは犯罪だろう、と考えていたらお約束どおり頭の右側に小さな悪魔があらわれた。
 悪魔がささやく。
「かまわないから、盗んじまえ。大丈夫、バレやしないって」
 すると、今度は頭の左側に小さな天使があらわれた。天使がささやく。
「ほら、あそこにあるピエール・カルダンの傘。あれが高そうでいいですよ」
 天使にまで言われたのでは仕方がない。私は傘立てを物色しはじめた。

 玄関の外はすでに暗く、雨がしとしと降っている。こういう雨のことをなんと言ったか。マロニーではないし、糸こんにゃくでもないし。
 そうそう、糸こんにゃくと言えば思い出したことがある。
 私の会社の食堂は奇をてらった料理を出すのが評判で、この前食べたドリアにも糸こんにゃくが入っていた。糸こんドリアである。この糸こんドリアであるが、使っていた化学物質が悪かったのか、突如として意志を持って人類に反旗をひるがえしたのだ。襲いかかる糸こんドリアに逃げまどう人々。食堂は阿鼻叫喚の地獄絵図となり、社員十一人が犠牲となった。幸い、自衛消防隊の決死の活躍でなんとか撃退したものの、倒したわけではない。糸こんドリアは下水道からいずこともなく逃げていったのだ。今ごろはあなたの住む街に潜んで解放民族戦線でも作っているのかもしれない。そうなれば、ベトコンドリアである。
 これは、科学技術の無秩序な発展に警鐘を鳴らす地球の叫びだったのだろう。われわれ人類には、決して手を出してはいけない神の領域があるのだ。完。

 いや、終わってしまってはいけない。何の話だったか。そうそう、傘だった。
 考えてみると、他人の傘を間違えて持って帰るなどという事件は日本中で頻発している。これに何の対策も施さないのは、政府の怠慢だろう。銀行に資金援助などしている余裕があるなら、傘の問題をなんとかしてほしい。
 そもそも、他人の傘を持って帰ってしまうのはなぜか。そこに他人の傘があるからだ。ならば、「他人の傘」をなくしてしまえばよい。簡単な理屈だ。すなわち、傘の全面国有化である。
 傘はすべて、国の財産とする。そして、誰がいつ使ってもいいし、どこに置いてきてもいい。これで「他人の傘」問題は解決だ。
 当然、傘の私有は犯罪になる。製造も販売も所持も違法だ。しかし、禁止となるとそれを破りたくなるのが人の常、政府デザインのダサい傘など使ってられるか、という若者もいるだろうし、傘はやはり蛇の目に限る、という頑固者もいるだろう。そういったニーズに応えるため、闇ルートで傘が流通するようになる。梅田の阪急東通りなどを歩いていると、客引きの兄ちゃんが声をかけてくるのだ。
「社長社長、ええ傘ありまっせ」
「なになに、どんな傘や?」
「ピチピチのコギャルの使用済み傘です。もちろん、ナマ写真も付いてまっせ」
「そりゃええ、うひゃひゃ」
 ……などと喜ぶ気持ちもわかるが、残念ながら違法行為である。
 さらにビーチパラソルが傘に含まれるか否かで訴訟が起こされ、高裁で有罪判決が出たがこれが最高裁に上告されて判決破棄となり高裁に差し戻されることになった。もう一度考えなさい、ということで、つまり、再考裁判所である。
 このように、政府は隙あらば我々の生活に干渉して規制を強化しようとしている。このような圧制には、断固として立ち向かわなければならない。諸君の協力を願い、演説を終わる。

 いや、終わってしまってはいけない。何の話だったか。そうそう、傘だった。
 さらに傘立てを物色していると、若い女子社員が一人、小走りに駆け込んできた。
「ごめんなさ〜い、傘、間違えちゃった」
 む。それはひょっとして、私の傘か?
「うえださんの傘ですよね? ほら、名前書いてあるし」
 その女子社員は傘を広げた。ピンクの地にピカチュウのプリント。マジックで大きく「うえだたみお」と書いてある。そうだ、それだ、そのピカチュウは私の傘だ。
 しかし、よく見ればこの女子社員、けっこう可愛いじゃないか。これはやはり、声をかけねばなるまい。傘を間違えたのも何かの縁、どうですお嬢さん、このピカチュウで相合い傘としゃれ込みませんか?
「ごめんなさい、これから、彼とデートなの。じゃあね」
 ……というわけで、わずか5秒でふられてしまった。さすがに「ふられ続けて三十年」の称号は伊達じゃない。

 今日もまた ふられふられて 涙雨

 この句は私の歌集に追加しておこう。もちろん、悲歌集である。


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