第178回   この本を読むな  1998.4.19





 くそおっ、許さん!

 ……などと冒頭から怒っているが、これは、史上最大の駄作小説を読んでしまったことに対する怒りである。

 序盤はくだらない。中盤はつまらない。終盤はしょーもない。これだけなら三ない運動だが、さらに、面白くない、箸にも棒にもかからない、ヤマがない、オチがない、イミがない、傘がない、ヘソがない、その他いろいろひっくるめればナイナイ16くらいありそうな小説である。
 そんな小説なら最後まで読まなけりゃいいのに、という意見もあるだろうが、そこはそれ、乗りかかった船というか、どれくらいくだらないか確かめてやろうという気になったのだ。いわゆる、怖いものたみさんというやつである。
 そういうわけで、この小説がどれほどくだらないか、ここで紹介しておこう。なお、間違ってもこの小説を買ったりして著者に印税を贈るなどという真似はしないでほしい。

 この小説のタイトルは『悪魔が歩く夜』、著者は幣原幣彦、夏声書院ノベルスの一冊で、定価880円。一応、推理小説である。
 推理小説でよく使われる設定の一つに「嵐の山荘」がある。外界から孤立した場所で殺人事件が発生し、限定された登場人物の中から犯人を探し出す、というものだ。舞台は嵐の山荘だったり、吹雪のペンションだったり、孤島だったり核シェルターだったり冷蔵庫だったり宇宙船だったりする。警察が登場すると名探偵の活躍する余地がなくなるので、いかにして舞台を「嵐の山荘」にするか、そこが作者の腕の見せ所なのだが……。
 この小説の設定はこうだ。閑静な住宅街の大邸宅。たまたま近所の公園で公演していたサーカスから猛獣たちが脱走し、人々は屋敷の外へ出られなくなった。この屋敷の中で殺人事件が起こる。
 かなり無理がある。殺人事件が起きているのに、宣伝車の「猛獣が脱走し危険ですから外に出ないでください」との言葉に盲従するのだろうか。誰か交番にでも駆け込めよ。で、電話はどうなったかというと、猛獣が電話線を噛み切ってしまい通じない。おいおい。
 さらに、この猛獣脱走部分の描写はこうである。


 大きなライオンががおーっと叫びながらのっしのっしと歩き回っている。そのとなりをゾウがずしんずしんと歩き回っている。バナナでも探しているのだろう。
 そして、塀の上ではチンパンジーがちょろちょろと歩き回っている。屋敷の窓からは歩き回っているキリンの首が見えた。屋敷の外では猛獣たちが歩き回っているのだ。


 なんだか歩き回ってばっかりである。この語彙の貧困さは、小学生の作文レベルだ。

 まあ、語彙は貧困だろうが発生する事件が面白ければいいのだが、これも大したことはない。殺人は三件起こるのだが……。
 最初の殺人。ドアも窓も内側から鍵のかかった部屋の中で絞殺死体が発見される。
 二番目の殺人。ドアが内側から鍵のかかった部屋の中で絞殺死体が発見される。窓の鍵は開いていたが鉄格子がはまっており、人は出入りできない。
 三番目の殺人。窓は内側から、ドアは外側から鍵のかかった離れの中で絞殺死体が発見される。ドアの鍵は死体が握っていた。
 三件とも似たような密室殺人だ。絞殺ばかりで考察が足りない。
「エラーが出るほどなぐられた」というダイイングメッセージが残されていたり、死体がなぜかテディベアを抱いていたり、「虹のかけら」という宝石が盗まれたり、少しは変化をつけようとしているようだが、いずれにしろ陳腐でチープな趣向である。

 まあ、似たような事件ばかりでも探偵が魅力的ならいいのだが、これも大したことはない。一応、天満橋豹介という名探偵が登場するのだが、このシーンがまたものすごい。


「すると、あなたがあの有名な……」
「そうです。わたしがあの有名な天満橋豹介です」
 そう、今まで黙っていたが、彼があの有名な天満橋豹介だ。卓越した洞察力と卓越した推理力を持ち、卓越した記憶力と卓越した行動力が兼ね備え、卓越した頭脳でいくつもの卓越した事件をいくつも解決してきた天満橋豹介だ。
「おおっ、あなたがあの有名な天満橋豹介さんですか」
 一堂、ざわめく。豹介、サングラスをはずすと、その下には卓越した美貌があらわれた。


 なんだか卓越してばっかりである。しかも文法もおかしい。作者は仕方ないとしても、編集者は気付かなかったのか。

 まあ、文法がおかしかろうが探偵が卓越しまくろうがトリックや推理が独創的ならいいのだが、これも大したことはない。この探偵が偉そうに密室についてのうんちくを披露するのだが、密室にする方法や理由の分類は有名な海洋ミステリ『瀬戸内殺人漂流』や相撲ミステリ『樫尾部屋から愛をこめて』の受け売りで、オリジナリティーがない。

 で、問題のトリックだが……本来なら、推理小説の結末をバラすのはマナー違反なのだが、なあに、かまうことはない。どうせつまらないトリックだ。こんな駄作小説を読む手間を省いてあげるのが親切というものだろう。

 最初の密室トリック。ドアも窓も内側から鍵がかかっていたが、その部屋には屋根がなかった。……なめとんのか!
 二番目の密室トリック。その鉄格子は実はゴムでできていた。……だったら「ゴム格子」と書け!
 三番目の密室トリック。殺したあとで離れを建造した。……そんな時間があるか!

 とまあ、このようにどうしようもない小説である。
 しかし、タイトルの『悪魔が歩く夜』の意味がよくわからない。作中では、悪魔がどうしたという話はまったく出てこないのだ。この作者に隠喩でタイトルをつけるほどの芸があるとも思えないし。
 ひょっとすると、第2章の終盤に出てくるこのセリフのこと……いや、いくらなんでもそんなことは……いやいや、この作者ならあり得るかも……。


 眞弓が窓の外を見ると、なんだか大きな黒い影が歩き回っていた。それを見て眞弓はつぶやいた。
「あっ、熊が歩くよ」




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