第210回   の・ような音  1998.9.25





 というわけで本日、東京から大阪へ帰ってきたのである。
 今日まで帰れなかったのは仕事の都合に他ならないのだが、できることならばあと二日早く帰りたかった。なぜかというと、大阪で小型飛行機が墜落したからだ。
 そのニュースを耳にしたのは九月二十三日の夜。テレビでアナウンサーがいきなり「大阪・高槻市に乗員乗客五人を乗せた小型飛行機が墜落しました」などと発言したので私は驚愕した。高槻。それは私の家があるところではないか。まさか、私の家の上に墜落した、などというのではあるまいな。私の部屋には、人に見られては困るあんなものや、とても公開できないそんなものや、思わず人格を疑いたくなるこんなものが山積されているのだ。現場検証と称する警官たちや取材を標榜するマスコミ連中にそれらを発見され、あまつさえ公共の電波で放送されようものなら、私の評判は地に落ちてしまう。翌日からは、街を素顔で歩けなくなるではないか。運命とは、かくも無情なものなのか。
 という考えが頭をよぎったのはわずか数秒のことに過ぎなかった。テレビの画面が切り替わって映し出されたのは、病院らしき建物とその手前の田圃である。よかった。私の家ではなかったのだ。今回はかろうじて、評判が地に落ちる事態は回避された。

 安心すると、画面を冷静に観察する余裕も出てくる。墜落地点のすぐ近くにあるあの病院、その病院には見覚えがあった。私の家から車で十数分のところだ。そうか、家への直撃は免れたがけっこう近くに落ちたのだな。ううむ、それにしても、なぜ二十三日に落ちた。なぜあと二日待てなかったのだ。二日後には、私は大阪に帰っていたというのに。そうすれば、野次馬根性を発揮して深夜にも関わらず車を走らせ、現場取材中のテレビカメラに向かってVサインを出してみたり墜落現場の地面に「犯人はナカムラ」などという似非ダイイングメッセージを書き記したりという不埒な行為に及ぶこともできたというのに。
 しかしまあ、落ちてしまったものは仕方がない。飛行機とて、落ちたくて落ちたわけではなかろう。残念だが次の機会を待つことにしよう。そう考えて再びテレビに見入ると、幸運にも事故を目撃した男がインタビューに答えてこう言っていた。
「……ええ、すごかったです。何かが空を横切ったかと思うと、まるで飛行機が落ちたような音がして……」
 おいちょっと待て、とテレビに向かってツッコんだのは私だけではないはずだ。そ、そのまんまやないか。飛行機が落ちたのだから、飛行機が落ちたような音がするのは当たり前やないか。比喩というのはそういうものじゃなくて、何か別のものにたとえて言うものだろうが。タンクローリーが衝突したような音、とか、ガスタンクが爆発したような音、とか。だいたい、飛行機が落ちたような音、などという比喩を使う資格がおまえにはあるのか。過去に飛行機が落ちた音を耳にしたことがあるのか。その辺はどうなっておるのだ。
 ……などと、見ず知らずの人間に対して怒りを爆発させていたのだが、しかしよくよく考えてみればタンクローリーが衝突した音やガスタンクが爆発した音を耳にする機会もそうはない。怒りを爆発させる音も同様だ。ここはひとつ怒りをしずめ、冷静に考えてみよう。その時、彼はいかなる心境でかような発言をしたのか。こんな事情があったのだろう。

 その日、高槻市郊外に住む山崎浩典(仮名)二十九才は、駅からの道をとぼとぼと歩いていた。
 先週の土曜日に合コンで知り合った女性とデートの約束をしたものの、見事にすっぽかされてしまったのだ。そういえば、名前も電話番号も教えてもらってなかったな。すると、はじめから俺とデートをする気などなかったのか。それに気づかない俺も相当マヌケだが。まあいい、またチャンスはあるさ、元気出していこう。
 そう考えた山崎は、森の中の道で立ち止まって空を見上げた。日没直後の薄暗い空にはまだ星は見えない。その彼の視線の片隅を、何か黒いものがかすめた。反射的にそちらの方を見たが、それはすぐに山影に隠れて見えなくなる。その直後、遠くの方で轟音が響いた。
 なんだろう、と不審に思ったが、わざわざ確認しに行くほどの興味も持てず彼は帰宅した。しかし、しばらくして外が騒がしくなってきた。パトカーや救急車のサイレンが聞こえる。さっきの音と関係があるのか、と考えた彼は窓を開けた。救急車両は山の方へ向かっている。近所の人も何人か、徒歩や自転車でその方向へ向かっているようだ。やっぱり何かあったのか。まあ、どうせヒマなんだし、と考えた彼は野次馬気分で人々の後を追うことにした。
 某病院そばの道まで辿り着いたとき、彼の前には警察の張ったらしき非常線が立ちはだかった。黄色と黒のロープで構成されたそれは、物理的にははなはだ脆弱だが心理的には鉄壁の防御を誇る結界である。その結界の前には数台のパトカーが止まり、警官や野次馬でごった返している。目ざといマスコミも、すでに何社か来ているようだ。彼は野次馬の輪から少し離れたところにたたずみ、人々の話に耳を傾けた。彼らの話を総合すると、どうやら飛行機が墜落したらしい。小型のプロペラ機のようだ。やはり、帰り道で聞いた音はこれだったのか。そう考えたとき、レポーターのマイクが彼に向けられた。カメラも作動しているようだ。
「すいません、目撃者の方ですか? お話をうかがいたいのですが」
 待ってました。テレビのインタビューを受けるのは初めての経験だ。思わず頬がゆるむが、飛行機が落ちたなら死者も出ているはず、あまり嬉しそうなそぶりを見せてはいけないと思い直し、真面目な顔で答える。
「……ええ、すごかったです。何かが空を横切ったかと思うと、まるで……」
 まるで? そこでふと彼は考える。まるで、とくれば、その後に続く言葉は「○○のような音」であろう。さて、あの音はどんな音だったろうか。その時は、ああ、なんか音がしたな、程度の認識しかなかった。あの音は、何の音に似ていただろうか。思いだそうとしても、過去にあのような音を聞いた記憶はない。たとえるべき先例が存在しないのだ。さらに、気の利いた比喩も思いつかなかった。彼はそれほど文学的な素養のある人間ではないのだ。かといってこの状況では大阪人らしくウケを狙うのもはばかられる。何の音か、と聞かれても、飛行機の落ちた音、としか言いようがないではないか。そして彼はこう答える。
「……まるで飛行機が落ちたような音がして……」

 ……とまあ、こんな事情だったのかもしれない。こんな事情だったのだろう。こんな事情に決まっている。
 確かに、飛行機の落ちた音は「飛行機の落ちた音」と表現するのがもっとも正確である。そこに比喩を持ち込もうとすると、必ずノイズが混入してしまう。山崎浩典は、文学性を犠牲にして表現の厳密さを選択したのだ。
 考えてみれば、この手法は様々な事態に応用できる。最近はなにやら落ちるものが多いようなので、そういう例をいくつかあげると。

「その北朝鮮のミサイルが落ちたときは、どんな感じでしたか?」
「ええ、まるでミサイルが落ちたような音がしました」
 ん? ミサイルじゃなくて人工衛星だったっけ? まあ、落ちる音に大して違いはないだろう。

「その女子アナが落ちたときは、どんな感じでしたか?」
「ええ、まるで女子アナが落ちたような音がしました」
 個人的には、落ちた女子アナより堕ちた女子アナの方が好みだが。

「その株価が落ちたときは、どんな感じでしたか?」
「ええ、まるで株価が落ちたような音がしました」
 ガーン、とか、ドーン、とかいう音だろうか。ズギュゥゥーン、も捨てがたい。

「あなたの評判が地に落ちたときは、どんな感じでしたか?」
 だから落ちてないんだってば。と答えようとしたとき、五十階建てのビルの屋上から転落した男の逸話を思い出した。その男は、落下している最中にこうつぶやいたという。
「どうだ、すでに四十階分は落ちてきたけど、今のところまだ大丈夫だぞ」




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